【天下統一は岐阜から始まった!】命名450年、織田信長と岐阜城の歴史
2017年8月15日 更新

【天下統一は岐阜から始まった!】命名450年、織田信長と岐阜城の歴史

永禄 10年(1567)8月15日。今から450年前の今日、織田信長は美濃を攻略。本拠地を移し、町の名を「岐阜」に改めました。信長は岐阜城を拠点に天下統一に乗り出し、その決意を示すように、中国の教えから引用した「天下布武」の印を使い始めたと伝えられます。今日は岐阜命名の日にちなみ、信長と岐阜城の歴史をひも解いていきましょう。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

斎藤三代の居城だった岐阜城

斎藤道三像

斎藤道三像

via 常在寺
岐阜城のあった金華山は、古くから多くの絵画に描かれ和歌に読まれるなど、名勝地として知られてきました。

いつから城があったのか、いまも詳細はわかっていません。江戸時代以降の記録では、最初に築城したのは二階堂行政と伝えられていますが、城として使われたのは大永5年(1525)頃のことです。

現在の岐阜城の場所には伊奈波神社があったといわれ、斎藤道三が天文8年(1539)頃に、岐阜城の前身である稲葉山城を築城するにあたって、神社を現在の場所に移したと伝えられています。

親子の衝突、息子の急死により斎藤家は弱体化

斎藤道三は稲葉山城を拠点に、着々と下克上を進め、天文21年(1552)、美濃の守護・土岐頼芸を追放し、美濃の実権を握りました。その2年後、息子の義龍に家督を譲ります。

しかし、道三と義龍は次第に不仲になり、遂に激突、弘治2年(1556)「長良川の戦い」にて道三は敗死します。義龍は美濃の領国経営を進めますが、その義龍も5年後に急死してしまうのです。

そのあと、息子の龍興が跡を継ぎますが、永禄7年(1654)に竹中重治(半兵衛)らに一次的に占拠されるなど、斎藤家の弱体化は明らかでした。
竹中重治像

竹中重治像

via 禅幢寺

信長の天下統一は岐阜から始まった

織田信長像

織田信長像

via 東京大学史料編纂所
織田信長は、小牧山城の築城を開始した永禄5年(1652)頃から、東美濃の有力領主と通じるようになります。やがて中美濃にも侵攻した信長は、西美濃三人衆の稲葉良通や氏家直元、安藤守就らを配下にし、永禄10年(1567)、遂に稲葉山城を落とします。

信長は本拠地をここに移し、町の名をそれまでの「井の口」から「岐阜」に改めました。信長は岐阜城を拠点に天下統一に乗り出します。その決意を示すよう、中国の教えから引用した「天下布武」の印をこの年から使い始めたと伝えられます。

この「天下布武」という言葉は、武力をもって天下を治めるとも捉えられる言葉ですが、「七徳の武を備えた者が天下を治める」という、信長の平和な国づくりへの願いが込められていたとも言われています。

足利義昭の征夷大将軍への補佐、二条城の御所造営、伊勢長島攻め、延暦寺焼き討ち、義昭の追放、浅井・朝倉氏の滅亡、本願寺への攻撃、長篠の合戦など、すべて岐阜在城時の出来事です。このことから、信長が天下統一のため、岐阜城を拠点にしていたことが伺えます。
岐阜城図

岐阜城図

via 円徳寺

関ヶ原合戦前哨戦の舞台に

天正3年(1575)、嫡子の信忠に家督を譲り、信忠が岐阜城主になると、信長は安土に移りました。

天正10年(1582)、本能寺の変で信長、信忠が討たれると、信忠の息子である三法師(後の秀信)が信孝と共に入城。以降、岐阜城主は、秀吉の指示のもと、池田元助、池田輝政、豊臣秀勝、そして織田秀信と引き継がれます。

慶長5年(1600)の関ヶ原合戦では、岐阜城が前哨戦の舞台となります。西軍方についた秀信は、福島正則ら東軍方に攻められ落城、秀信は高野山に追放されました。

関ヶ原に勝った家康によって岐阜城は廃城となり、南部に加納城が築かれました。岐阜の町は幕府の直轄地になったのです。

信長にとって岐阜城は見せるための城だった!?

岐阜城からの眺め

岐阜城からの眺め

展望台からは眼下に清流長良川、東には恵那山や御岳山、北には乗鞍・日本アルプスが連なり、西には伊吹山・養老山脈、南には伊勢湾などが連なる壮大な眺望を楽しむことができる。
via 日本の城 写真集
信長の城には、城下町を見下ろす景観に優れた場所にあるという特徴があります。岐阜城は小牧山城、安土城と同じく、景観に優れた場所にありました。

道三時代までは戦国時代の典型的な詰城でしたが、信長からは戦いのための城でなく、基本的に城主の居住空間であり、見せる城であったとされます。

永禄12年(1569)、キリスト教の保護を求めて、信長公の居館を訪れた宣教師、ルイス・フロイスの書簡によると、山頂部には信長の家族や人質が暮らしていたそうです。
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