第6回:織田信長が築いた総石垣の城!安土城【月刊 日本の城】
2018年3月30日 更新

第6回:織田信長が築いた総石垣の城!安土城【月刊 日本の城】

webサイト「日本の城写真集」の管理人・けいすけが、日本の名城の見どころ、撮りどころを徹底的に紹介する連載「月刊 日本の城」。第6回は織田信長の最後の居城で、信長の覇王としての象徴でもあった安土城をご紹介します。今でも残る石垣などから信長が居城とした当時を想像できる素晴らしい城跡です。そんな安土城のオススメのポイントを、写真を中心に紹介していきます。

けいすけ(日本の城写真集)けいすけ(日本の城写真集)

今でも残る壮大な石垣から感じる信長の城への思い

織田信長

織田信長

小牧山城、岐阜城と築いてきた信長。安土城は最後の居城になります。
織田信長の居城・安土城。信長は家臣の丹羽長秀を築城の責任者に任じ、天正4年(1576)2月23日に安土城に入ったといわれています。

安土城の特徴は何といっても壮大な石垣です。今では日本全国に総石垣造りの城がありますが、その起源は織田信長が築いたこの安土城といわれます。城そのものは本能寺の変と共に焼失してしまいましたが、当時は城の最高部に地上6階建ての天主が建てられ、まさに天下人の城にふさわしい壮観な姿だったと思われます。

それでは、安土城にいざ出陣!

安土城へのアクセス方法

安土城はJR琵琶湖線の安土駅から徒歩約25分。駅前にはレンタサイクルもあります。車の場合は名神高速の竜王インターから約30分程度で、駐車場完備です。

安土城めぐりは大手門から

【大手門】

【大手門】

安土城の山麓部にある大手門。
via 写真提供:日本の城 写真集
安土城に到着したら大手門から城内に入ります。目の前に見える山が安土城があった山です。
安土城の門は合計4つあり、身分によってどの門を通るのか使い分けられていたそうです。
【大手門脇の曲輪】

【大手門脇の曲輪】

大手門の左右には数段の曲輪が設けられている。山麓の大手門も整備されているのは安土城の隠れた特徴。
via 写真提供:日本の城 写真集
【安土城跡・摠見寺】

【安土城跡・摠見寺】

安土城跡は現在、摠見寺の敷地内となっている。
via 写真提供:日本の城 写真集
摠見寺の料金所を抜けると大手道が始まります。ここから、ひたすら真っすぐ石段を登るのですが、段差が大きい所もあるので、足元に気をつけて登りましょう。杖やストックも便利です。

撮影ポイント1:まっすぐに石段が続く大手道

【大手道】大手道のはるか先にはちょうど天主(天守)がそ...

【大手道】大手道のはるか先にはちょうど天主(天守)がそびえ建っていたといわれる。大手道の幅は約6mと十分に広く、さらに両脇には幅約1mの排水溝が設けられている。

via 写真提供:日本の城 写真集
安土城の特徴のひとつがまっすぐな大手道です。城の中の通路が直線状なのは防御上好ましくないため、とても珍しいのです。戦う城から見せる城へ…信長はそのデメリット以上の狙いをこの大手道に込めたのでしょう。この壮観な大手道をぜひ写真におさめてください。
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けいすけ(日本の城写真集)

けいすけ(日本の城写真集)

Webサイト「日本の城写真集」(http://castle.jpn.org/)の管理人です。日本各地にある遺構の残る城や著名な城を訪問し、城の象徴である天守のみならず、様々な見どころの写真を撮って公開しています。みなさまに城の魅力が少しでも伝われば何よりです。日本全国444城、16,428枚の写真を収録(2017/9/4現在)。Twitterもやっています:https://twitter.com/castle_jpn 公式

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