御朱印で巡る武将ゆかりの地~織田信長編~
2018年5月31日 更新

御朱印で巡る武将ゆかりの地~織田信長編~

6月2日は本能寺の変が起こった日! というわけで、「御朱印で巡る武将ゆかりの地」、今回は織田信長編をお届けします!信長のルーツから始まり、本能寺の変を経て「神」として祀られていく様子を、御朱印を通してみていきましょう!

みのうち社みのうち社

織田家のルーツ・劔神社

劔神社

劔神社

via みのうち社
織田信長といえば尾張や美濃や近江のイメージが強いですが、越前にもゆかりの地はあります!
越前二の宮の劔神社は織田信長の先祖の故郷でもあり、信長の先祖が代々神官を務めてきたといいます。
まさに信長のルーツと言える場所です。
信長は劔神社を氏神として厚く信仰しました。
馬像

馬像

via みのうち社
劔神社の神紋は織田信長の家紋と同じ「織田木瓜」。
境内の至る所に信長の息吹を感じます。

主神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)。
配神は気比大神(ケヒノオオカミ)と忍熊(おしくま)皇子です。

忍熊皇子は第14代仲哀天皇の皇子。
この地方の賊徒討伐を行った際、座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、神の力の助けを得て無事に平定。忍熊皇子はこの恩に報いるためにこの地に劔神社を建て、手厚く信仰したと言われています。

その後、日本版ラスプーチンこと弓削道鏡の朝廷乗っ取りの野望を打ち砕くための願掛けが行われ、平清盛の嫡男・平重盛に信仰され、極めつけとして織田信長に信仰された劔神社。
間違いなくつよい…
織田一族発祥の地を伝える石碑。

織田一族発祥の地を伝える石碑。

via みのうち社
境内は広く、平重盛と織田信長を祀った小松建勲神社や旧神前院護摩堂などがあります。
劔神社の御朱印

劔神社の御朱印

via みのうち社
劔神社の御朱印はコチラ。神紋であり織田の家紋である織田木瓜が捺印されています!シンプルisベスト。
※デザインが変化している場合がございます。
織田信長像

織田信長像

via みのうち社
劔神社に来たら忘れてはいけないのが信長像!

神社の境内ではなく表参道側にあるので見落とし注意!
他の信長像よりも骨太感があって筆者は好きです。

信長といえば本能寺!(でも当時とは別の場所)

本能寺

本能寺

天正10年(1582)6月2日の早朝。本能寺に宿泊していた信長は、家臣の明智光秀の謀反にあい、志半ばで倒れます。

信長最期の舞台となった本能寺。
現在は地下鉄東西線「市役所前駅」を降りてすぐの場所にありますが、戦国時代は現在よりも南西の、中京区小川通蛸薬師元本能寺町にありました。
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みのうち社

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歴史好きなイラストレーター&ライター、デザイナー、編集者の3人組。 武将の城や偉人の史跡、神社仏閣、美術など、身近にあるものでも最大限に楽しめる「歴史エコ」な情報を発信していきたいと思います。 今後は、各種イベントや本の企画など、歴史にまつわる仕事をしていく予定です。よろしくお願いします! 公式

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