意外な場所に○○が!?創設者・福沢諭吉の軌跡が残る慶応義塾大学三田キャンパス
2018年1月10日 更新

意外な場所に○○が!?創設者・福沢諭吉の軌跡が残る慶応義塾大学三田キャンパス

慶應義塾大学創設者であり、『学問のすゝめ』の著者で知られる福沢諭吉。1万円札の肖像でもおなじみですね。東京都港区にある慶應義塾大学の三田キャンパス内やその周辺には、諭吉ゆかりの地が多数あります。受験シーズンも近い今、キャンパス見学も兼ねて、探索してみませんか?

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

江戸で開いた蘭学塾が起源

福沢諭吉

福沢諭吉

日本銀行発行紙幣の原画となった1891年(明治24)頃の写真。
福沢諭吉は、1835年(天保5)1月10日、豊前中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の子として、大阪にある中津藩蔵屋敷で生まれました。
2歳のときに父が亡くなり、中津に戻ることに。14歳で塾に通い始め、19歳で長崎に出て蘭学と砲術を学び、その後、大阪の蘭学者で医師である緒方洪庵の適塾(てきじゅく)で学ぶようになります。お金がなく、途中からは塾に住み込みで勉強していたそうです。
適塾(大阪市中央区)

適塾(大阪市中央区)

福沢諭吉の通った適塾は、現存する唯一の蘭学塾の遺構として重要文化財に指定されています。
1859年(安政6)、江戸の築地にあった中津藩中屋敷内に蘭学塾を開きますが、外国人は英語を使用しており、オランダ語が通用しないことにショックを受けたそうです。英語とオランダ語を対訳した辞書をもとに、独学で英語を学び始めます。

そして1860年(万延元)、幕府の遣米使節に志願して、咸臨丸で渡航しました。
アメリカでは、身分に関係なく、能力次第で活躍できることに感動したそうで、諭吉の自伝『福翁自伝』にも紹介されています。下級武士に生まれ、苦労が多かったからこそ、実感できたのかもしれません。
福沢諭吉

福沢諭吉

東京大学史料編纂所蔵

1862年(文久2)パリの国立自然史博物館にて撮影された写真。
1868年(慶応4)、33歳のとき、築地の蘭学塾を芝に移し、当時の年号にちなんで「慶應義塾」と名付けました。戊辰戦争で上野が戦場になったときも、大砲の音を聞きながら、講義を続けたといいます。
諭吉が発疹チフスに罹ったことから、1872年(明治4)初頭より、現在の三田への移転が始まりました。

見どころの宝庫・慶應義塾大学

慶應義塾大学

慶應義塾大学

via 撮影:ユカリノ編集部
慶應義塾大学の三田キャンパスは、歴史的建造物をはじめ、多くの記念碑や芸術作品など、見どころ満載!少人数であれば、自由にキャンパス内を見学できます(午前8時30分~午後5時。年末年始や試験日を除く)。
現在、ゴシック様式の洋風建築で有名な「慶應義塾図書館・旧館」は、改修工事中のため見学できませんが、今回は特に諭吉にゆかりの深い場所をご紹介します。

有名な一節が刻まれた東館

慶應義塾大学 東館

慶應義塾大学 東館

via 撮影:ユカリノ編集部
キャンパスの東側にある東館。校章の下には、『学問のすゝめ』で有名な一節「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」がラテン語で刻まれています。
実はこれ、諭吉自身の言葉ではなく、米国の独立宣言からの翻訳と考えられています。実際に『学問のすゝめ』には、「…造らずといへり」と、“云えり”が続けられており、このことから諭吉が考えた一節ではないといわれています。
誰が言ったかということより、それを広めてくれた諭吉に感謝したいですね。
『学問のすゝめ』(初版)

『学問のすゝめ』(初版)

1872年(明治5)から刊行が始まった『学問のすゝめ』。
庶民でも買いやすいように、17冊に分けて1冊の値段を安くしたり、漢字には読み仮名を振るなどして、大ベストセラーとなりました。

日本初の演説講堂・三田演説館

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