天下泰平総仕上げ!細川家史料から見る「島原の乱」
2018年4月12日 更新

天下泰平総仕上げ!細川家史料から見る「島原の乱」

関ヶ原の戦いから37年の時が過ぎた寛永14年(1637)。関ヶ原の戦いを勝ち抜き、藩主となった大名たちも二代目、三代目と代替わりをしていたころ。列島の西の端で一揆が起きた! 戦を知らない子供たち世代は、戦のやり方もおぼつかないまま戦場へと向かいます。この戦いで一番乗りを上げた細川隊の動きから、島原の乱を追いかけてみましょう。

高桐みつちよ高桐みつちよ

その戦いは、常ならぬ爆発音とともに始まった

関ヶ原の戦いから37年。大坂夏の陣からならば22年。
江戸幕府は幕藩体制を築き、着実に列島の統治を進めていました。
関ヶ原の戦いを戦った戦国大名を江戸時代第一世代とするならば、このころはすでに第二世代、第三世代と移り変わっていました。

肥後の細川家では、肥後藩主としては初代、肥後細川家としては三代目となる細川忠利の統治が行われていましたが、その息子の光尚も成長し、忠利の代行ができるほどになっていました。
細川光尚像(永青文庫蔵)

細川光尚像(永青文庫蔵)

光尚は元和5年(1619)、関ヶ原の戦いどころか大坂夏の陣よりも後の生まれ。戦を知らない世代です。
そんな彼らが直面した江戸時代最大の一揆が「島原の乱」です。

島原の乱は、1637年12月11日(寛永14年10月25日)から1638年4月12日(寛永15年2月28日)まで、およそ半年にわたり起こった島原(現長崎県島原市)でのキリシタンによる一揆。

島原と海を挟んで向かい側にある熊本藩、細川家の家記『綿孝輯録』には、島原の乱が始まったときのことをこのように記載しています。
十月、肥前国嶋原ニ切支丹之一揆起候事、八代辺ニ而ハ七月比より風聞いたし候へ供、虚実わからす、十月廿六日嶋原城を攻候節之大筒之音を中路宗悦初而聞付、此音ハ常ならす、隣国ニ城攻有之なるへし、何も武具之用意せよ、誰々二も知らせよなとと申候を、老耄の所為か何事を申候哉とて、聢取合者もなく大方二あいしらひける処に、八代之商船嶋原二参居候か、廿七日の晩急き候帰帆、一揆之様子申候、それより追々委細之儀相聞江、其時ニ至宗悦老功之程をいつれも到感心候、嶋原より八代まで海上拾八里半有之由

(10月、肥前国島原でキリシタンの一揆が起きた。八代のあたりには7月のころからそのウワサはあったが、本当かわからなかった。10月26日、島原城を攻めたときの大筒の音を、中路宗悦が初めて聞いた。宗悦は「この音は常ならざるので、隣の国で城攻めが起きた。武具を用意しろ、誰々にも伝えろ」などと言っていたが、年寄りのいうことなので、誰も相手にせず、適当に返事をしていた。そのころ、八代の商船が島原にいて、27日慌てて帰ってきた。一揆のことを細かく聞き、宗悦じいさんが言っていたことが本当だったので、皆、感心した。島原は八代の海の向こう18里半のところにある。
via 綿孝輯録
この文書から、一揆が起きそうだとウワサされながらも誰も信じていなかったことと、大きな音がしても城の若い者たちはそれが大筒の音だとわからなかったという点がわかります。

さて、島原でいったい何が起きていたのでしょうか。
八代城

八代城

忠興の隠居城の八代城と島原は、海を挟んで直線距離約35キロ。
一揆勃発当時、忠興は京都に滞在していて不在でした。
via 撮影:高桐みつちよ

島原の乱はただの農民一揆にあらず

島原城

島原城

島原城はいい石をたくさん使った石垣が魅力。
天守の中は島原の乱やキリシタンにまつわるものが展示されていて、とても興味深いです。
via 撮影:高桐みつちよ
寛永14年(1637)はとても寒い年で、もともと体が強くなかった忠利をはじめ、幕府要人たちも病に臥せるほどでした。
当然、米は不作。
農民たちはギリギリの生活を強いられることになりました。

島原は松倉重政の日野江藩の領地。
松倉は、江戸城の普請役を務めるなど幕府からの覚えもめでたい人物でしたが、その反面、居城である島原城は石高不相応な城にするなど、見栄っ張りな部分が多くありました。
冷夏だったこの年、松倉は限界を超える年貢を取り立て、それを浪費のツケに回します。そのことで領民たちの怒りはMAX!
ついに、堪忍袋の緒が切れる事件が起こります。

重税への抵抗と信仰を守るための戦い

島原はもともとキリシタン大名有馬家の領地でした。
そのため、領民にキリシタンが多く、有馬家の後を引き継いだ松倉重政も入府当初はキリシタンに寛容でした。
ところが、ある時、幕府から「キリシタンへの処罰が甘い」という指摘を受けたために、残忍な弾圧へと変わってしまいます。さらには日本に来る宣教師たちの拠点があるルソンを攻撃しようとするなど、キリシタンからの評判はすこぶる悪い。領民にはキリシタンが多くいるので、領民からの評判も悪い。
このころ松倉は、重税とキリシタン弾圧で領民からの信頼を完全に失っていました。
島原の乱が長引き、被害が大きくなった原因の一つは、松倉統治への抵抗のために広範囲の領民が一致団結したからといえます。

そして、その一致団結の旗印となったのが、10代中ほどだった天草四郎時貞です。
四郎は、関ヶ原の戦いで西軍の首謀者の一人として斬首になったキリシタン大名・小西行長の遺臣、益田好次の子とされます。
原城跡の天草四郎像

原城跡の天草四郎像

幼いころから奇跡的な力と不思議な魅力を持っていたという四郎。
弾圧されていた島原のキリシタンにとっては救世主のように見えたことでしょう。
四郎は、島原で弾圧に苦しむキリシタンたちとともにレジスタンス活動を展開。キリシタンだけでなく、棄教させられた元キリシタンたちとも一致団結して、弾圧する者たちに神の鉄槌を下す反乱を画策していました。
そして寛永14年(1637)10月25日、四郎は島原で大規模な集会を開催します。

キリシタン追放は幕命なので、幕府としては当然キリシタンの集会を認めることはできません。
これを察知した幕臣・林兵左衛門は、会場に乗り込んでキリシタンたちの信仰の的だった肖像画を破り捨てるという実力行使にでるのですが、これが島原の民たちの怒りに火をつけることになります。

林兵左衛門を誅殺した四郎派キリシタンたちは、そのまま島原城を攻めて島原南部を占拠します。
細川家の中路宗悦が聴いた音とは、このときの音だったのでしょう。

そして、廃城になっていた原城を本拠とした四郎たちのもと、藩に不満を持つ領民勢力が合流し、戦いが始まります。
原城跡

原城跡

via 一般社団法人長崎県観光連盟
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高桐みつちよ

高桐みつちよ

「歴史をポップに楽しみたい!」オタクカルチャーを交えて歴史コンテンツを発信する歴女ユニット「武蔵守歴女会LLP」所属。肥後細川家と石田三成をこよなく愛する歴史ライター時々マイ甲冑武者。関ケ原町を拠点とする甲冑武者団体「関ケ原組」での活動を経て、現在は甲冑劇の脚本演出を行っている。関ケ原合戦祭り『関ケ原合戦絵巻』(2014~)、関ケ原七武将物語(2015~)脚本演出。『真田幸村の系譜(河出書房新書)』執筆協力。 公式

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