第1回:島津氏の家紋「丸に十文字紋」はおまじないだった?【家紋のルーツ】
2018年5月12日 更新

第1回:島津氏の家紋「丸に十文字紋」はおまじないだった?【家紋のルーツ】

家紋がいつ、どのように生まれ、なぜ使われるようになったのか?そんな家紋のルーツを日本家紋研究会会長の髙澤等さんがゆかりの地とともに紹介する新連載がスタート。初回は島津氏の家紋「丸に十文字紋」です。その前に使用していたという家紋や「十文字紋」の意外な由来まで、専門家ならではのお話をご紹介します。

髙澤等髙澤等

著名な武家が戦場で掲げ、一族のシンボルとした家紋。
家々によって家紋にまつわるドラマがあり、そのドラマの舞台があります。
この連載ではそうした家紋に関わる謎や土地を紹介したいと思います。
その第1回は島津氏の「丸に十文字紋」です。

島津氏の家紋「丸に十文字紋」

「丸に十文字紋」

「丸に十文字紋」

島津氏の家紋「丸に十文字紋」といえば、戦国ファンなら知らぬ人はいないでしょう。
今年の大河ドラマ『西郷どん』の中でも、この家紋は何度も登場します。

島津氏中興の祖と言われる島津忠良を祀る竹田神社(鹿児島県南さつま市)には、いたるところに丸に十文字紋を見ることができます。とくに家紋を形どった石灯籠は印象的です。
さらに鹿児島市の市章も島津氏の家紋をアレンジしたデザインになっています。
竹田神社の夏祭りの様子。旗にも丸に十文字が見える。

竹田神社の夏祭りの様子。旗にも丸に十文字が見える。

via 提供:公益社団法人 鹿児島県観光連盟

元々は鶴の家紋に十文字だった?

『蒙古襲来絵詞』に描かれる島津久親の旗紋。

『蒙古襲来絵詞』に描かれる島津久親の旗紋。

via 提供:髙澤等
しかし、元々の島津氏の家紋は、今に見る家紋の形とは少し違いました。

『蒙古襲来絵詞』には、鶴の丸紋と十文字を上下に並べて描いた島津久親の旗が描かれています。
この時の鶴の丸紋はどこにいってしまったのか不明ですが、なぜか江戸時代の初めから島津氏の本城となった鹿児島城は、別名を鶴丸城といいます。これは偶然なのでしょうか?

また応仁の乱の頃に書かれた『見聞諸家紋』には、筆で書いた様な十文字の家紋が描かれています。
『見聞諸家紋』

『見聞諸家紋』

応仁の乱で東軍側に馳せ参じた島津氏の家紋を記録。

via 提供:髙澤等
やがて戦国時代末期になると、十文字を丸で囲った今のデザインになっていき、名称も時には「轡(くつわ)紋」ともいわれました。
轡とは馬に噛ませて手綱を結んでコントロールするための馬具です。
江戸時代の川柳で「くつわ虫」と出てくるのは、薩摩藩士のことを揶揄した表現でした。

十文字紋の起源とは?

そもそも島津氏が十文字紋を用いた経緯は何だったんでしょうか?

『寛永諸家系図伝』によると源頼朝から旗・幕の紋として忠久に賜ったとあります。
しかし約150年後の『寛政重修諸家譜』では、同じく頼朝から「大十文字」の太刀を賜ったことで家紋としたという話に変わっています。
さらに源家の宝物である膝丸の太刀も頂き、こちらは「小十文字」と呼ばれたようです。

残念ながらこれらの重宝の太刀は第二次世界大戦で焼失してしまったとのこと。
しかし寛永から寛政の間で話が変わっているところをみると、これは創作だったと考える方がよいのかもしれません。

中国から伝わるおまじないだった!?

『安政武鑑』にみえる島津斉彬の家紋。

『安政武鑑』にみえる島津斉彬の家紋。

via 提供:髙澤等
「十字(十文字)」は、中国から伝わったおまじないで、蒸餅という饅頭の上に十文字を書いて食すと厄災を退けるという言い伝えがありました。饅頭自体の別名も「十字」といいます。
鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』によると、源頼朝も厄除けの饅頭である「十字」を家臣に配っているのです。
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髙澤等

髙澤等

埼玉県飯能市生まれ。長年、実父の日本家紋研究会前会長の千鹿野茂とともに全国の家紋蒐集を行う。家紋の使用家や分布などを、統計を用いて研究している。現在、日本家紋研究会会長、家系研究協議会理事、歴史研究家。著書に『苗字から引く家紋の事典』(東京堂出版)、『家紋歳時記』『戦国武将 敗者の子孫たち』(ともに洋泉社)などがある。 公式

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