「日本男色史巡り 第1回:伊達政宗」奥州の覇者・独眼竜政宗が小姓へ送った謝罪の手紙、その内容とは…?
2018年3月30日 更新

「日本男色史巡り 第1回:伊達政宗」奥州の覇者・独眼竜政宗が小姓へ送った謝罪の手紙、その内容とは…?

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する新連載『日本男色史巡り』。第1回は、伊達政宗公ゆかりの手紙をご紹介します。同僚の大名からは「狐憑き」、史家からは「変人」と呼ばれる一方、家臣や領民からは情け深い「慈父」と慕われた奥州の覇者、伊達政宗。見る人によってプリズムのように違う色を見せる、複雑怪奇な人間性の彼が心底から愛したのは少年だった!? 仙台市博物館に現存する、愛する少年へ送った政宗ゆかりの手紙とは?

黒澤はゆま黒澤はゆま

変人、名君?どちらが独眼竜の本当の姿?

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伊達政宗といえば、「好きな戦国武将」というアンケートを取れば、必ずベスト3以内にランクインする人気武将です。

1987年度の大河ドラマ「独眼竜政宗」はじめ創作コンテンツに恵まれたことに加え、「隻眼」とか、「若くして活躍」とか、スターウォーズのダースベーダ―のモデルにもなったなど、歴史好きの食指が動く属性が勢ぞろいしていることも追い風になっているのでしょう。

ただ、アニメや漫画、ゲームではイケメンに描かれることも多い政宗ですが、彼の容貌については、久保田藩主二代目、佐竹義隆の証言が残っていて、

「つぶれた目は飛び出てるわ、額は下にしおれてるわ、とにかく見苦しい親父だった」(秋田昔物語より意訳)

また、

「酒を呑め呑めと、しつこくからんできて本当にうざい」(秋田昔物語より意訳)

とも。
伊達政宗像(東福寺霊源院蔵、土佐光貞筆)

伊達政宗像(東福寺霊源院蔵、土佐光貞筆)

数少ない隻眼で描かれた肖像画。
まぁ、佐竹家は義重以来、政宗に煮え湯を飲まされ続けてきた家ですので、話半分に聞いておいた方がよいかもですが、創作に出てくるような、爽やかな好青年というキャラでなかったのは確か。特に、平和な江戸の世になってからは、

1)江戸城で老中・酒井忠勝に相撲を所望→投げ飛ばされる
2)いかもの(ゲテモノ)食いの名人に挑戦→ネズミの赤子の味噌汁を出されて瀕死の食中毒
3)江戸の勧進能で先例がないアンコールを希望→主催者から断られる→「お前ら皆殺じゃぁ」と伊達家総決起→町奉行も巻き込み江戸中大騒ぎに

などなど、現代どころか、当時の感覚からも理解不可能な言動が多く、疲れ果てたある史家などは、「この人は奇行の記録が本当に多すぎるんだよ。スペースもないし、もうこれ以上は書きません」とややキレ気味な言葉を残しています。
親友だった細川忠興(この人自身も狂躁な行動で有名)

親友だった細川忠興(この人自身も狂躁な行動で有名)

数々の奇行のため、忠興からすら「狐でも憑いてるんじゃないのか」と陰口をたたかれている政宗。
しかし、家臣や領民に見せる顔はまた違うものだったようです。

とある家臣は政宗の死後、

「他の家では鬼神のように言われていましたけど……」

と世評を気に病みつつ、次のような証言を残しています。

「政宗様は、私達下々の者に、機嫌の悪い顔を見せたことなど一つもありませんでしたよ。諸人皆に慈悲深く、私達が思わぬ失敗などせぬよう、いつも気を使ったお仕置きをしてくださいました。

そのため、身分の高低、老若男女の別なく、奉公人は皆、御前に出ると、立腹を忘れ、ゆるゆるとくつろいだ気持ちになることが出来たのです。

根を詰めすぎている者には「少し休め」と言い、御前に出てこない者には「己自身のためにも出仕するように」と励まし、体調が悪そうな者には「役人なんて気づまりなものだからね。今日はゆっくり養生しなさい」と御暇をくださいました。

それでも、体調が戻らぬ場合は、自ら診察して、薬師に仰せ付け、よくなるように、よくなるようにと心を砕いてくれました。

このように情け深い方でしたので、私達、家来は皆、火の中水の底までもと一心に思い、張り切ってお仕えすることが出来たのです」(政宗公御名語集より意訳)


この話の中の政宗は、思いやりと優しさに満ちた、父親のような顔をしています。一筋縄でいかない、複雑極まりない、二面性こそが、家臣や敵をも惹きつける政宗の魅力の根幹だったのかもしれません。

小姓を愛した政宗

父親といえば、政宗は、奥向きの仕事に使っていた、12歳~14歳くらいの少年に対しても、父性愛に満ちた顔を見せています。

少年を使う理由を政宗は「彼らがまだ正直さを失っていないから」と言っていますが、彼らの自由奔放さには、「狐憑き」「鬼神」と恐れられた荒大名もキリキリ舞いさせられていたようで、政宗と少年たちの関係を忍ばせる様々な手紙が残っています。

自分自身、若い頃はかぶいた格好が好きだったのに、

「最近、小姓たちは皆ぶた髪(ゆったりとルーズにまげを結う当節風のヘアスタイル)にして、あれはいったい何がよいのか。聞きただして報告するように」

と容儀の乱れを嘆いたり、

「詰め小姓たちの行儀が悪い……小姓部屋へ立ち寄ったところ、喜平次のやつが唐障子に唾をはきかけていた。折々、お伴もさせていたものだが、陰に隠れて悪さするとは、なかなかのものだ。横目に折檻させるように」

と悪行に腹を立てたりしています。

ちなみにこの喜平次という小姓はなかなかのやんちゃ者だったようで、お仕置きされた後も懲りず、お腹が痛いといって、お伴をすっぽかしたりもしています。奥州に覇を唱えた独眼竜の気迫も、少年の稚気の前では形無しだったようです。

また、当時は当たり前のことでしたが、少年たちは政宗にとって家臣というだけでなく、恋愛の対象でもありました。川遊びに小姓とともに出かけた際、「大浪右京」と「磯野右近」という美少年二人は、獲物を追うのに疲れ、政宗の膝に愛らしい顔を並べて寝入ってしまいます。その可憐な姿を詠んで曰く、

「春の影秋の夕に習ひ来て月と花とに身を窶(やつ)すかな」

また、少年たちへの政宗の愛は単なる酔狂ではなく、次世代の強力な家臣団を育成するための方策でもありました。この小姓たちのなかから、鬼小十郎と呼ばれ、大阪夏の陣で後藤又兵衛を討ち取った、片倉小十郎重綱が生まれています。
太平記拾遺四十二:片倉小十郎重綱(落合芳幾作)

太平記拾遺四十二:片倉小十郎重綱(落合芳幾作)

政宗の片腕、片倉小十郎景綱の息子でもある重綱は、上洛した際、あの小早川秀秋から追い回されたという逸話があるほどの美貌の持ち主でした。

彼が前髪を落とし、精強な戦士となったあとも、政宗の愛情は変わらず、片倉家の正史である「片倉代々記」には、大阪の陣前に、「誰に先鋒をさせるおつもりか?」と逸る重綱に対し、「お前以外にいるはずないだろう」とその頬にキスしてなだめる政宗の姿が描かれています。

政宗が小姓に平謝りしている手紙とは?

これまで紹介したお話からも分かる通り、政宗と小姓の関係は、案外フラットなものでした。

それどころか、政宗が残した手紙のなかには、彼が小姓に対し平身低頭で謝っているものもあります。只野作十郎という少年に宛てたもので、当時、52歳だった政宗が下手すれば孫ほどに年の離れた小姓に謝罪文を送る羽目になったきっかけは、彼が作十郎の浮気を疑い、酒の席で暴言を吐いたためでした。

この勘繰りは事実無根だったらしく、作十郎は当然激怒。我が身を傷つけて、その血で潔白を主張する手紙を送ってきました。

驚いた政宗が送ったのが以下の弁明書です。
この前の晩のことだが、お酒の席で、何かきついことを言ってしまったみたいで、本当にすまん。

……お前との仲をこれまで以上に強くしたいというのが、本心だったのだ。

それにしても、酒の上とはいいながら、よっぽど私の言葉に傷ついたのだな。刀で自分の腕を切って、血判を押したなんて、本当に胸が痛む。

もし、私がその場にいたら、刀にすがり付いてでも止めていた。

お返しに指を切るなり、股か腕を突くなりして、真実を見せたいところだが、私も孫のいる年だろう。「年甲斐もなく」なんて笑われたら恥ずかしいんで、その気持ちをおさえてる。

……日本中の神様に誓っていうけど、腕や股を突くのがいやだから、やらないと言っているのとは違う。

お前も見た通り、私の腕や股は傷だらけで、隙間もないくらいだ。若いときは、簡単にそういうことをやったもんだが、最近は時代も変わってるし、そんなことしたら、かえって世間の笑いものになるかもしれん。

かといって、このままではお前に申し訳がたたないんで、伝蔵が見てる前で起請文書いて、血判押して送ります。

どうか、これで勘弁してくれ。今日からはこれまで以上に気安くして、仲良くしてくれたら嬉しい。

……本当に自分のやったことが本当に恥ずかしい。どうか、私の気持ち分かってくれ。

正月九日 政宗
via 『なぜ闘う男は少年が好きなのか』(黒澤はゆま著、KKベストセラーズ)
この手紙のなかの政宗は、秀𠮷・家康といった天下人や、名だたる大名たちを翻弄させた「鬼神」でも、家臣や領民に見せた「慈父」でもなく、愛するものの心を必死でつなぎとめようと、ただ恋に苦悩するもののようです。

そして、この手紙は現存し、仙台市博物館さんに収蔵されています。
残念ながら、現在(2017年4月20日)は展示されていないようですが、過去展示されたことはあるそうなので、展示替えの機会を待つことにいたしましょう。それに、実は今年(2017年)は政宗公生誕450年! ひょっとしたらその機会は案外はやく来るかもしれませんね。
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黒澤はゆま

黒澤はゆま

宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。愛するものはお酒と路地の猫。 公式

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