【「新政府綱領八策」も展示!】没後150年記念特別展「龍馬がみた下関」が10/14より開催
2017年10月11日 更新

【「新政府綱領八策」も展示!】没後150年記念特別展「龍馬がみた下関」が10/14より開催

土佐出身でありながら、活動の場を広く藩外に求めた坂本龍馬。特に下関には「薩長同盟」や高杉晋作とともに戦った「小倉口の戦い」など歴史的事件から、下関を拠点とした新規事業を計画するなど、龍馬にとって重要な地であったとされます。今回は没後150年を記念して、下関市立歴史博物館で開催される「龍馬がみた下関」の見どころとともに、龍馬と下関の人々との交流、その足跡を紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

龍馬と下関:薩長同盟

龍馬にとって下関とは、支えられた仲間のいる場であり、戦友とともに幕府と戦った場であり、愛妻と暮らす「終の住処」でもありました。また、当時の下関は長州藩の支藩である長府藩にあたります。

龍馬の残した功績のひとつ、「薩長同盟(薩長盟約)」。
慶応元年(1865)閏5月21日、龍馬は、中岡慎太郎と土方久元とともに、長州の桂小五郎と薩摩の西郷隆盛との下関での会談を斡旋しますが、失敗に終わります。
その後も桂を説得し続け、慶応2年(1866)1月22日、再び龍馬の斡旋により、今度は京都で桂と西郷、小松帯刀らが会談し、無事「薩長同盟」が結ばれたのです。

ここからは龍馬を支えた下関の人々を紹介します。

得意の槍で龍馬を逃した三吉慎蔵

西郷隆盛所用赤間関硯

西郷隆盛所用赤間関硯

財団法人荘内南洲会蔵

薩長同盟締結後、三吉慎蔵は坂本龍馬や西郷隆盛らとともに、帰国の途につく。下関で一行と別れる際、三吉は餞別として彼らに赤間関硯を贈った。この硯は西郷に贈られたもので、月に波上の兎が彫られている。
via 写真提供:下関市立歴史博物館
「薩長同盟」締結時、龍馬は三吉慎蔵と上京しています。その直前に高杉晋作から漢詩と拳銃を贈られていました。
その直後に起こったのが「寺田屋事件」です。

深夜に、幕府伏見奉行の捕り方30人ほどに囲まれ、龍馬は晋作から贈られた拳銃で、三吉は得意の槍で応戦します。龍馬は拳銃を持つ手を刀で払われそうになり、左右の手の親指を負傷。装弾ができなくなったため、三吉が必死に応戦する間に、辛くも脱出します。この時、三吉は武士としての死を、龍馬は最後まで生き抜くことを訴えたといいます。
三吉慎蔵邸跡

三吉慎蔵邸跡

三吉慎蔵の屋敷跡。龍馬は同家を訪ねた際、敷地内に建っていた蔵の中で、三吉と密談を交わしていたという。
京都伏見の寺田屋で龍馬とともに遭難して以来、厚い友情で結ばれました。三吉は「謹厳無双(きんげんむそう)」と称されるほど実直な人柄で、また宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)の使い手としても知られています。

龍馬と長府藩のパイプ役だった印藤聿

坂本龍馬書状 印藤聿宛

坂本龍馬書状 印藤聿宛

下関市立歴史博物館蔵

龍馬から印藤聿に送られた書状。大坂を出帆したのち、上関を経由して下関に入港したことを印藤に知らせている。印藤は、龍馬から入る情報を長府藩府に伝えるとともに、龍馬の様々な活動を支援した。
薩長同盟の際、坂本龍馬と長府藩のパイプ役として、その政治活動を支援したのが長府藩士の印藤聿(いんどうのぶる)です。

龍馬は、慶応元年(1865)12月29日付けの印藤聿宛ての手紙で、薩長同盟の成立のため上京する際の同伴者を求めます。印藤はそれを受けて藩庁に働きかけ、三吉慎蔵の同伴が実現します。
翌年の元日、印藤の紹介により龍馬と三吉は初めて出会います。翌日の2日に龍馬は再び三吉と会談、5日まで逗留します。よっぽど意気投合したのでしょう。

維新後、印藤は士籍を捨てるとともに名を「豊永長吉」と改めて経済活動に専念、関門地域の殖産興業に尽力しました。

龍馬とお龍がお世話になった伊藤助太夫(九三)

伊藤助太夫(九三)邸跡(本陣伊藤邸址)

伊藤助太夫(九三)邸跡(本陣伊藤邸址)

この邸宅の一室が、慶応3年(1867)2月から、龍馬とお龍の生活の場となる。
via 写真提供:下関市
長府藩領下関の本陣主で大年寄だった伊藤。慶応元年(1865)以来、龍馬の止宿先となり、慶応3年(1867)2月、邸宅の一室「自然堂」を借り受け、愛妻お龍との生活を始めます。
伊藤は「時代遅れだから」という龍馬の勧めで「助太夫」から「九三」に名前を変えます。いろんな意味で、龍馬にやさしかったようですね。
坂本龍馬書状 伊藤九三宛

坂本龍馬書状 伊藤九三宛

山口大学図書館蔵

伊藤に送られた書状。下関に上陸したら、すぐに大坂屋に行って酒を飲むという内容が記されている。
via 写真提供:下関市立歴史博物館
この伊藤家には、龍馬の「うた」についてのエピソードが多数残っています。
龍馬は伊藤家で髪を結ってもらう際、「唐人の寝言」という唄をうたっていたそうで、現在も伊藤家に伝わっています。
また、伊藤家で催された歌会に夫婦で参加。龍馬は会中で2位という記録を残したそうです。
きわめつけは龍馬が下関の遊郭街の稲荷町から朝帰りしたとき。当然、機嫌を損ねたお龍に対して、龍馬は三味線を弾きながら即興でうたいます。この俚謡を聞いたお龍は、破顔して龍馬を許したといいます。
44 件

この記事のキーワード

この記事のキュレーター

ユカリノ編集部

ユカリノ編集部

全国各地の「ゆかりの」エピソードをほぼ毎日お届け。知ればもっと行きたくなる、歴史の聖地巡礼へご案内します! 公式

関連する記事 こんな記事も人気です♪

【西郷のドタキャンで桂が激怒!?】歴史を大きく変えた世紀の盟約「薩長同盟」

【西郷のドタキャンで桂が激怒!?】歴史を大きく変えた世紀の盟約「薩長同盟」

慶応2年(1866)1月21日に締結された薩長同盟。当時は犬猿の仲だった薩摩と長州を、坂本龍馬らの仲立ちによって結ばれた同盟は、幕末のみならず日本の歴史においてとても大きな出来事でした。しかし、下関での会談では西郷隆盛がドタキャンして桂小五郎を怒らせるなど、なかなか大変だったようです。今回は薩長同盟締結に至るまでと、ゆかりの地をご紹介します。
前田利家&まつ、大山巌&捨松…あやかりたい!歴史上のいい夫婦ゆかりの地

前田利家&まつ、大山巌&捨松…あやかりたい!歴史上のいい夫婦ゆかりの地

11月22日は「いい夫婦の日」。歴史上にもおしどり夫婦と呼ばれるカップルがいますが、みなさんは誰に憧れますか?戦国の動乱を夫婦の絆で乗り越えた利家とまつ、追われる夫の危機を救った幕末を代表する夫妻・龍馬とおりょうなど、今回は時代を超えて親しまれるおしどり夫婦5組のゆかりの地をお届けします。ぜひ、その地をめぐって幸せなふたりにあやかりましょう♪
【没後150年イベント開催中!】高杉晋作ゆかりの地、山口県下関市を巡る

【没後150年イベント開催中!】高杉晋作ゆかりの地、山口県下関市を巡る

慶応3年4月14日(1867年5月17日)は高杉晋作の命日。今年で没後150年を迎えます。昨年から各地で関連イベントなどが行われてきましたが、今回は今からでも見られるイベントの紹介と、晋作ゆかりの地についてご紹介します。幕末の長州藩の巨人・高杉晋作の生涯に迫りましょう。
おりょう、さな子…龍馬亡き後も想い続けた女性たち

おりょう、さな子…龍馬亡き後も想い続けた女性たち

慶應3(1867)年11月15日、近江屋で暗殺された坂本龍馬。男も女も惚れる人柄だったという龍馬の人生には、常に女性たちの影がありました。龍馬を知る彼女たちは、彼の死後どんな道をたどったのでしょうか。彼女たちのその後とゆかりの地をご紹介します。
交友関係に恵まれた愛されキャラ?初代内閣総理大臣・伊藤博文【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第24回】

交友関係に恵まれた愛されキャラ?初代内閣総理大臣・伊藤博文【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第24回】

歴史タレント・小栗さくらが、幕末維新ゆかりの場所を旅する連載。第24回は、初代内閣総理大臣にして、4回も総理大臣を務めた伊藤博文です。長州藩の農民から日本のトップまで上り詰めますが、最後は暗殺されてしまうという劇的な人生を送った博文。運を味方に、師や先輩たちに可愛がられた彼が出会った人々や、その評価について紹介します。
龍馬も登った!「西郷どん」最終章メインビジュアルの撮影地・高千穂峰と霧島神宮の歴史

龍馬も登った!「西郷どん」最終章メインビジュアルの撮影地・高千穂峰と霧島神宮の歴史

NHK大河ドラマ「西郷どん」が、いよいよ大詰めとなる最終章「明治編」へと突入します。先日、そのメインビジュアルが発表されましたが、撮影地に選ばれたのが鹿児島県と宮崎県の県境にそびえる高千穂峰。西郷隆盛と大久保利通を演じる鈴木亮平さんと瑛太さん、そして大勢のスタッフが、わざわざ本格的な登山を行ってまで撮影を行ったこだわりの聖地、高千穂峰とは?
坂本龍馬や桂小五郎も!幕末志士ゆかりの江戸剣術道場めぐり前編【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第20回】

坂本龍馬や桂小五郎も!幕末志士ゆかりの江戸剣術道場めぐり前編【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第20回】

歴史タレント・小栗さくらが、幕末維新ゆかりの場所を旅する連載。第20回は、坂本龍馬ゆかりの千葉定吉桶町道場と江戸三大道場をめぐります。後に「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」と評された江戸三大道場では、それぞれ歴史に名を残した志士たちが腕を磨いていました。今回は坂本龍馬ゆかりの道場を中心に、江戸の剣術道場めぐりをご案内します。
【会津と土佐、衝突の危機?】明保野亭事件の悲劇

【会津と土佐、衝突の危機?】明保野亭事件の悲劇

1864年7月13日、京都で起こった明保野亭事件。これは実に奇妙な事件であり、同時に悲しい結末を迎えた事件でもあります。当事者は、新選組・会津藩・土佐藩。激動の幕末で起きてしまった明保野亭事件の概要とその舞台となった明保野亭をご紹介します。
松陰・木戸・高杉…活躍の裏にこの藩主あり!特別展「激動の幕末長州藩主 毛利敬親」

松陰・木戸・高杉…活躍の裏にこの藩主あり!特別展「激動の幕末長州藩主 毛利敬親」

倒幕の中心として存在感を発揮した長州藩ですが、他藩に比べ藩主のイメージが薄い…と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、当時の長州藩主・毛利敬親(たかちか)がいたからこそ、藩士たちは活躍できたとも言えるのです。毛利敬親とはどんな人物だったのか、7月13日(金)より山口県立美術館で開催される特別展「激動の幕末長州藩主 毛利敬親」展に展示される資料とあわせ、彼の人柄や功績に迫ってみましょう。
2018年は明治維新150年!夏に開催のおすすめ企画展5選

2018年は明治維新150年!夏に開催のおすすめ企画展5選

明治維新150年にあたる今年。高知や山口などの主要箇所もちろん、全国各地で企画展が開催されています。普段の歴史旅や夏休みにプラスしたい企画展の内容をご紹介します。