「おんな城主 直虎」でも注目!小悪魔ボーイだった井伊直政、寵愛を受けていたのは家康だけじゃなかった!「日本男色史巡り 第3回:井伊直政」
2017年6月16日 更新

「おんな城主 直虎」でも注目!小悪魔ボーイだった井伊直政、寵愛を受けていたのは家康だけじゃなかった!「日本男色史巡り 第3回:井伊直政」

日本の男色史を、ゆかりの品や場所とともにご紹介する連載『日本男色史巡り』。第3回は、話題の大河ドラマ「おんな城主 直虎」井伊直虎の養子・井伊直政。徳川四天王に列せられ、武田の赤備えを引き継いで、赤鬼と恐れられた猛将は実は「容顔美麗」と史書にも記された美少年だった!? そして、美少年が家康の他に、二股をかけた相手とは!?

黒澤はゆま黒澤はゆま

容顔美麗 美少年だった井伊直政

井伊直政

井伊直政

今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎の養子である井伊直政は、大変な美貌の持ち主だったようです。江戸幕府の公式記録「徳川実紀(とくがわじっき)」には、「容顔美麗にして心優にやさしければ」とあり、他にも彼の美貌をたたえた記録は少なくありません。
 
これからの大河ドラマの展開のネタバレになるかもですが、直虎と南渓和尚たちは、井伊谷へ侵略の手を伸ばす今川・武田などの大大名の魔の手から、後の直政である虎松を守りきり、1575年、家康に謁見の機会を得ることに成功します。

家康が鷹狩の帰途、道端に平伏する当時15歳の虎松(直政)を見初めたと、説話めいた記録が残っていますが、そのように、直虎と南渓和尚が対面の場をこしらえたのでしょう。
徳川家康

徳川家康

家康は、この少年のまなざしに、大器の片鱗を認めたのはもちろんでしょうが、その花にとまる蝶のような、可憐な美しさについても、多としたようです。家康は、それまで虎松という幼名だった直政に、自分の幼名竹千代の千代を与え、万千代と名乗らせました。
 
浜松城に引き取られ、小姓となった直政の役割について、甲陽軍鑑では「御座を直す」と記しています。ベッドのシーツを整えるものとでも訳したらよいでしょうか。要は男色の隠喩、閨の友にしたというのですね。
 
男色というとギョッとしてしまいますが、当時、君臣、あるいは同僚の間で、契りを結ぶのは一般的なことでした。享保期に当時80を超していた老人は、まだまだ戦国の野気を残した江戸初期の風俗を振り返ってこんな証言を残しています。
「昔は衆道というものがありまして、生まれがよいものはもちろんですが、そうでないものも、十四・五・六の若衆ともなれば、皆念者(年長の恋人)を持ち、そうでないものは一人もありませんでした。このことを兄弟契約ということもあれば、男色ということもありました」
via (むかしむかし物語から筆者意訳)
子供の方でもあっけらかんと、大人になるための必要なステップと解釈していたようで、不運にも念者を持てなかった元子供は、老人になってから後悔し、こんなことを言っています。
「若いときからいろんなことをして、およそ天地の間でやってないことはないといってもいいほどなのですが、童の頃に、念者をもって若衆となったことだけがありません。どんな感じなのかなぁと思ってみても、もう、醜い老残の体でしょう? 男色好きの那智・高野の僧侶くらいしか抱いてくれませんよね」
via (むかしむかし物語から筆者意訳)
また、保護者である親たちも、自分たちの子供にこのような年長の恋人が出来ることをむしろ喜んだそうです。明治になってから、元土佐藩士の馬場辰猪は、幕末の土佐を振り返ってこんなことを証言しています。
「土佐では古代ギリシャと同じで、少年が花の盛りとなるとき、両親が然るべき武士を見立て、保護者となることを頼むのが普通だった。引き受けた侍がしっかりした人物だったら、親は子供の行く末について安心することができたものだ」
via (引用「武士道とエロス」氏家明人)
なので、直政が浜松城で殿様の御座所を直す身となったと知らされても、たとえ相手が阿部サダヲだったとしても、直虎も南渓和尚も、嘆くどころか「これで一安心」と、肩から重荷をおろした気持ちになったことでしょう。まぁ、大河では絶対に描かれないでしょうが。

名門中の名門の家だった井伊家

浜松城

浜松城

武田家に対する最前線基地でもあった浜松城。ここが家康と直政にとっての愛の巣となりました。
当時、家康は遠江の浜松城を拠点としており、対武田の前線基地でもあったこの城が、直政にとって青春時代を過ごす新居となりました。

ここにはもちろん、家康と直政だけでなく、目つきが悪く、とにかく面倒臭いことで定評のある、三河ものたちがとぐろを巻いていました。そして、直政は彼らと比べてみると、とびぬけて家柄がよい子供でした。

そもそも主君の徳川(松平)家自身、清和源氏を自称してはいますが、徳阿弥という遊行僧が松平郷に流れ着いたのが興りという、どこの馬の骨か分からない、卑しい家の出。

殿様がこうなら、家来たちの事情も推して知るべしで、そのほとんどが先祖を辿ると、草深い三河の地で泥をかく百姓たちでした。それがたまたま喧嘩がめっぽう強いものが近所にあらわれ、尻馬に乗って強盗……でなく戦争を繰り返していたら、いつの間にか目鼻がついて人がましくなったという血筋ばかりです。

そのため彼らの多くは南北朝時代に、南朝方で活躍した忠臣の家柄を自称しました。松平氏自身、新田氏の後裔を名乗っています。敗亡した南朝方の武将の家系はその多くが断絶してしまっているため、言ったもん勝ちの状態だったのですね。

ところが、直政の井伊氏は家祖、共保(ともやす)以来、ちゃんとした系譜が残り、吾妻鑑にも記録されている名門中の名門の家。おまけに、先祖のなかには、宗良親王に付き従って活躍した井伊道政という本物の南朝方の忠臣も輩出しています。

koeiもシバリョーもない戦国時代、男の子が夢中になるメジャーな歴史コンテンツといえば、まず太平記でした。そのため、直政の登場を現代で例えたら、歴史ファンが戦国大名の子孫を自称してふかしまくっていたら、モノホンの織田信成君がやって来てしまったようなものでした。

おまけに、1561年生まれの直政は家康の有力家臣のなかで突出して若く、後に四天王と並び称されることになる、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政と比較しても、忠次の34歳下、忠勝、康政の13歳下でした。

そのため、他の四天王たちは歴史に登場したとき、すでに皺深く額に油の浮いた大人ですが、直政のみが白い頬に愛らしい笑窪をくぼませた少年の姿であらわれます。

家柄、若さ、美貌。

ありとあらゆる要素において、直政は、徳川家にとってまばゆい存在だったのです。
井伊谷宮

井伊谷宮

井伊家の末裔である、彦根藩の知藩事、井伊直憲が1869年(明治2年)に建立した神社です。南北朝時代に、先祖、道政がかくまった宗良親王が祭られています。
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黒澤はゆま

黒澤はゆま

宮崎生まれ。大阪在住。2013年に歴史小説『劉邦の宦官』でデビュー。他著作に真田昌幸の少年時代を描いた『九度山秘録』、世界史・日本史上の少年愛を紹介した『なぜ闘う男は少年が好きなのか』がある。愛するものはお酒と路地の猫。 公式

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