【巌流島の戦いは細川家による暗殺計画!?】佐々木小次郎豊前添田出身説を訪ねてきた!
2018年4月13日 更新

【巌流島の戦いは細川家による暗殺計画!?】佐々木小次郎豊前添田出身説を訪ねてきた!

慶長17年4月13日、門司沖の船島(巌流島)で行われた宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘。時代劇や歌舞伎の題材でおなじみのシーンですが、佐々木小次郎の正体は謎に包まれています。実は巌流島の戦いは藩主細川家による小次郎暗殺計画だったのかも?佐々木小次郎豊前添田出身説を考えてみました。

高桐みつちよ高桐みつちよ

修験道の聖地・豊前添田

英彦山神宮の入り口

英彦山神宮の入り口

修験道の聖地・英彦山の中腹に作られている英彦山神宮への階段。
空に向かってまっすぐ伸びていて、参道脇には山伏たちが泊まっていた宿坊があります。
だんだん角度が強くなっていく仕様で、登っているだけで修行になりそうです。
神仏習合時代の名残がいろいろとあって、こちらもおもしろいのですよ。
via 高桐みつちよ
豊前添田と言ってもどこでしょうという人のほうが多いのではないでしょうか…
豊前添田の現在の地名は福岡県添田町。福岡県の中でも大分県寄りの地域で、江戸時代は小倉藩に属していました。

もう少し時代をさかのぼると、豊臣秀吉の九州征伐が始まる直前では、島津氏についた秋月氏と大友宗麟がにらみ合う最前線でもありました。
添田町にある岩石城は秋月氏の城の中でも難攻不落の堅城。切り立った岩山の城で見晴らしがよく、実に攻めにくい城です。
撮影:ユカリノ編集部 (17426)

via 撮影:ユカリノ編集部
九州征伐でこの城を攻め落としたのは、他でもない戦国最強軍師・黒田官兵衛。
官兵衛は周到な調略を行って、この堅城をたった一日で落城させます。
この後、秋月氏が撤退時に壊した益富城(嘉麻市)を一夜にして修復して米の滝を作り、秋月氏を降伏させたというエピソードに繋がります。

そして、町内にある英彦山は、古くより霊山として信仰の対象となっており、修業の場として多くの修験者たちが集まる聖地でした。
英彦山という名前は時の朝廷よりいただいたとのことですが、元の名前は日子山だったそうです。
小倉藩主となった細川忠興も、英彦山とは友好関係を築こうとしていたようで、細川家の家譜である『綿孝輯録』には入府直後の慶長6年(1601年)より英彦山の名前を見ることができます。


さて、佐々木小次郎暗殺計画の前に、佐々木小次郎はなぜ添田出身といえるのか。
その辺を考察してみましょう!

豊前の有力豪族だった佐々木氏

九州征伐の結果、九州の地は豊臣系の大名たちが治めることになるのですが、それよりも以前は、島津氏、大友氏、龍造寺氏がそれぞれ大きな存在としてあるものの、各地を小さな豪族たちが治めている状態でした。
秋月氏もそうですが、例えば大河ドラマ『軍師官兵衛』に登場した宇都宮氏は、北九州エリア最大の豪族で、現在の福岡県築上町の付近を治めていました。

佐々木氏がいつから添田にいたのかは記録に残っていないそうなのですが、少なくとも鎌倉時代頃にはいたとみられ、英彦山と縁戚関係を作って統治していました。
九州征伐後、宇都宮氏が豊臣家に反抗した豊前国人一揆では、宇都宮氏とともに蜂起し、岩石城に籠城して戦っています。
大河ドラマ『真田丸』で信濃の国人衆の動向が細やかに描かれていましたが、九州もなかなかなもんです。そりゃ官兵衛も苦労します…。

そんな佐々木氏こそ、佐々木小次郎の家柄であるというのが添田町出身説です。

【検証1】佐々木小次郎の流派

実は、佐々木小次郎という名前。本名かどうかわかっていません。
いつからか宮本武蔵と戦ったのは佐々木小次郎と言われるようになりました。

巌流島の戦いが起きたのは、慶長17年4月13日。
そこから近い、当事者がまだ生きていそうなころに書かれた資料に登場する名前は、

「巌流と名乗る兵法の達人」 「岩流兵法の師範、小次郎」

ここからわかることは、少なくとも「巌(岩)流」という兵法を使っていた剣の達人だったということ。

添田の佐々木氏が本拠とした城の名前は岩石城。
添田町の文化財専門委員長・梶谷氏の調査によると「岩流兵法伝書(英彦山高田家文書)」などに、英彦山の山伏の流派を習った人物が、自分の流派を出身地にちなんで「岩流」としたと読み取れる記述が残されているのだそうです。

はたして、これは偶然の一致なのでしょうか?

【検証2】佐々木氏から剣術指南が登用される理由

細川忠興の入府後、岩石城は国境を守る城として家老の長岡肥後守忠直が守ることになります。
ちなみにですが、巌流島の戦いとは直接関係ないと思われますが、この方、慶長11年に誅殺されてしまいます。

細川家では、統治に「手永」という行政システムを使っていました。地域の有力者を惣庄屋(地域住民の取りまとめ役)として、小さな行政区分を作るという方法です。
英彦山を含む添田の惣庄屋は佐々木氏。

この地に来たばかりの細川家が安定して統治するためには、地元有力者の協力が必要不可欠です。
英彦山で修業していた山伏は、実質的には武士と戦うだけの兵力を持っている僧兵集団のため、佐々木氏には領地運営だけでなく英彦山の対応も求められていたと思われます。

統治のために、自分たちに協力的な地元有力者を高い地位で登用することはよくあることなので、地元有力者であり、英彦山との縁が深く、山伏の剣術を使う佐々木小次郎(仮名)が剣術指南として登用されることは、十分ありえる話なのです。

ただ、こういう縁故採用って、いつか邪魔になっちゃうんですよね。

これが佐々木小次郎暗殺計画だ!

佐々木小次郎豊前添田出身説のもう一つの主題が、巌流島の戦いは「佐々木小次郎暗殺計画だったのでは?」です。

宮本武蔵も謎の多い人生を送っていますが、近年の調査により、彼は、養父の宮本無二とともに、1570年代後半ごろから九州の地にいたことが発見されています。また、関ヶ原の戦い後は黒田家に仕えていたようで、ただの浪人ではなかったようです。

巌流島の戦いの直前、武蔵は、細川家の家老、沼田延元の門司で剣術師範をしていました。一方、佐々木小次郎は藩の剣術師範。立場が違う二人、特に藩の要職にあった小次郎が、孤島まで行って決闘をしなくてならない理由があったはず。
そこを考えてみましょう。

巌流島の戦いに至る経緯は不明

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高桐みつちよ

高桐みつちよ

「歴史をポップに楽しみたい!」オタクカルチャーを交えて歴史コンテンツを発信する歴女ユニット「武蔵守歴女会LLP」所属。肥後細川家と石田三成をこよなく愛する歴史ライター時々マイ甲冑武者。関ケ原町を拠点とする甲冑武者団体「関ケ原組」での活動を経て、現在は甲冑劇の脚本演出を行っている。関ケ原合戦祭り『関ケ原合戦絵巻』(2014~)、関ケ原七武将物語(2015~)脚本演出。『真田幸村の系譜(河出書房新書)』執筆協力。 公式

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