【築城の名手は転職名人!?】藤堂高虎ゆかりの城とターニングポイント
2017年2月16日 更新

【築城の名手は転職名人!?】藤堂高虎ゆかりの城とターニングポイント

「築城の名手」とよばれた戦国武将・藤堂高虎。豊臣秀吉や徳川家康に才能を買われ、数多くの築城に関わりました。一方で、7度も主君を変えた「裏切者」という評価もついて回ります。高虎が人生の岐路に関わった名城をたどりながら、たくましく生きた人生をたどってみましょう。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

浅井、織田、羽柴…10代から主君選びに苦悩

藤堂高虎肖像(個人所蔵)

藤堂高虎肖像(個人所蔵)

年を取っても主君選びに苦労します。
弘治2(1556)年、藤堂高虎は近江国犬上郡藤堂村に生まれました。当時の藤堂氏は没落した農民にまで身を落としていました。

戦国大名・浅井長政に仕え、元亀元(1570)年の姉川の戦いで武功を挙げ、長政から感状を受けました、天正元(1573)年に長政が織田信長に滅ぼされると、浅井氏の旧臣、阿閉貞征(あつじ さだゆき)ついで磯野員昌(いそのかずまさ)と主君を変えました。阿閉氏を出た後には、三河吉田宿(現在の豊橋市)の吉田屋という餅屋で20個もの餅を無銭飲食したそうです!食べ盛りの10代、さぞやお腹も空いていたことでしょう…。

その後、織田信長の甥・織田信澄、当時信長の家臣であった羽柴秀吉の弟・秀長と次々と主君を変えていきます。10代にしてすでに5人目の主君です。

秀吉時代の出世の賜物、宇和島城と大洲城

秀長の元で武功を積み上げる中、大きな任務が舞い込んできました。天正14(1585)年、関白となった秀吉が、秀吉に謁見するために上洛することになった徳川家康の屋敷を聚楽第の邸内に作るように秀長に指示し、秀長は高虎を作事奉行に指名したのです。

まだまだ20代の高虎、ビッグネームに囲まれ臆してしまいそうなところ、渡された設計図に問題があるからと、独断で設計を変更。変更の理由を家康に説明し、感謝されました。

天正19(1591)年に秀長が亡くなると、甥で養子の豊臣秀保に仕え、秀保の代理で文禄の役に出征しています。秀保が17歳で早世すると高虎は出家して高野山へ。しかし将才を惜しんだ秀吉に還俗させられ、伊予国板島(現在の宇和島市)7万石の大名になりました。
宇和島城(愛媛県宇和島市)

宇和島城(愛媛県宇和島市)

板島にあった丸串城の跡地に築かれました。天守は後に伊達氏が改修したものですが、元々の縄張りは高虎が担当しました。上から見ると城の外郭は不等辺五角形をし、この縄張りを「空角の経始(あきかくのなわ」とよびます。一見すると四角形の縄張りが実は五角形に設計されており、戦略上重要な役割を果たしました。随所に高虎ならではの工夫が見受けられます。
慶長2(1597)年の慶長の役では水軍を率いて武功を挙げ、大洲城1万石を加増。この時期に居城を宇和島城に改称しています。愛媛を代表する名城、宇和島城と大洲城は高虎が秀吉の元で働いた集大成といえますね。
大洲城(愛媛県大洲市)

大洲城(愛媛県大洲市)

鎌倉時代末期の守護であった伊予宇都宮氏が築城。後に高虎が大規模な修築をしました。

関ヶ原の恩賞は今治城、幕末まで藤堂家の津城

慶長3(1598)年に秀吉が亡くなると、今度は家康に近づきます。慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いでは、西軍の中心人物、大谷吉継と激闘を繰り広げる一方、西軍寄りの有力武将を寝返らせる調略も行いました。軍功を認められ、戦後に今治城12万石が加増されました。
今治城(愛媛県今治市)

今治城(愛媛県今治市)

「日本三大海城」のひとつに数えられる海城。内堀には海水を引き入れており、なんと魚も泳いでいます。天守内の多聞櫓には魚を始めとする自然科学の展示が充実しているのも珍しいですよ。
忘れてはならないのが藤堂高虎公像。今治城を背景にしたフォトスポットとして人気です。
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