小栗忠順と盟友・栗本鋤雲の胸像が並ぶ境内。その奥には、小栗父子と家臣たちのお墓が並んでいます。
実は境内には小栗父子のお墓がふたつ存在しているのです。ひとつは胸像の位置からも見える供養墓で、父子の両側には共に命を落とした家臣の墓も並んでいます。
実は境内には小栗父子のお墓がふたつ存在しているのです。ひとつは胸像の位置からも見える供養墓で、父子の両側には共に命を落とした家臣の墓も並んでいます。
供養墓から更に登っていくと、忠順の胴体と、のちに取り返された首級が埋められた本墓があります。右隣には、忠順とともに処刑された家臣3人のお墓も・・・。
忠順好きにとって、胸が痛くなる場所のひとつです。
忠順好きにとって、胸が痛くなる場所のひとつです。
夢のあと、小栗邸
東善寺から1km下手にある観音山。忠順はここに居宅の建設を始めました。
そして屋敷を中心にして私学校を作り、権田の人を教育してこの地を良くするという夢を抱いていたのです。
そして屋敷を中心にして私学校を作り、権田の人を教育してこの地を良くするという夢を抱いていたのです。
また、忠順が引いた農業用水路「小高用水」は、いまだに「小栗様が引いてくれた水路」として守られています。
権田での忠順は、かつての敏腕奉行ではなく、村人と建設的に将来を歩もうとした殿様です。小栗邸は、第二の人生に想いを馳せた忠順の夢のあとのように思えます。
権田での忠順は、かつての敏腕奉行ではなく、村人と建設的に将来を歩もうとした殿様です。小栗邸は、第二の人生に想いを馳せた忠順の夢のあとのように思えます。
偉人小栗上野介、罪なくして此所に斬らる
忠順が描いた夢は、突然の処刑という形で終焉をむかえます。
邸の工事を要害建設と疑われたり、砲台を築いたと書かれたり・・・様々な疑いで「逆謀あり」とされたのです。もちろんどれも事実とは異なる内容です。
邸の工事を要害建設と疑われたり、砲台を築いたと書かれたり・・・様々な疑いで「逆謀あり」とされたのです。もちろんどれも事実とは異なる内容です。
忠順の処刑は、一言の取り調べもないまま決定しましたが、彼は動揺も言い訳もせず、母と妻のことだけを頼んでその最期を迎えたのでした。
それから約60年後。忠順のことを忘れないようにと、村内外の募金によって水沼河原に碑が建てられました。その碑文の内容は「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」。
短い言葉の中に、忠順を慕う人たちの悔しさや哀しみが感じられますよね。忠順好きにとって、ここは一番胸が締めつけられる場所ではないでしょうか。
それから約60年後。忠順のことを忘れないようにと、村内外の募金によって水沼河原に碑が建てられました。その碑文の内容は「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」。
短い言葉の中に、忠順を慕う人たちの悔しさや哀しみが感じられますよね。忠順好きにとって、ここは一番胸が締めつけられる場所ではないでしょうか。
墓石を守るように立つ椿の花は「小栗椿」と呼ばれているもの。
忠順が江戸から取り寄せたものですが、椿が上州に着いた時には、彼の命はすでにありませんでした。