「本能寺の変」勃発で最大の危機!?徳川家康、命がけの「伊賀越え」
2017年12月10日 更新

「本能寺の変」勃発で最大の危機!?徳川家康、命がけの「伊賀越え」

京都・本能寺で起こった、最も有名な下剋上事件「本能寺の変」。このとき堺でわずかな家臣と旅の途中だった徳川家康は浜松へ逃げ帰ることを決断します。これが成功しなかったら日本の歴史が変わっていた!?家康の「伊賀越え」とそのルートをご紹介します。

高桐みつちよ高桐みつちよ

徳川家康

徳川家康

大阪城天守閣蔵

平服のままで近畿滞在中に事件勃発

天下に手をかけた織田信長が本能寺滞在中に、家臣明智光秀に討たれた「本能寺の変」。
12月3日放送の大河ドラマ「おんな城主 直虎」では、明智光秀が主導し、今川氏真に協力を求める姿が描かれていましたが、現代にいたるまでさまざまな憶測が飛び交い、戦国最大のミステリーともいわれています。
細かいディティールは謎とはいえ、本能寺の顛末はご存知のとおり。

毛利攻め中の秀吉の援軍に向かったはずの明智軍が途中で引き返し、側近しか連れていなかった信長は討たれてしまいます。

では、家康は…というと。

本能寺の変が起きる半月ほど前のこと。
家康は、榊原康政、本多忠勝、酒井忠次、井伊直政など、わずかな側近だけを連れて安土城に向かい、そこですばらしい饗応を受けます。このときの膳の詳細が、現在、「安土城天主 信長の館」で見ることができるのですが、とても豪華です。この時代の食文化のすばらしさが感じられます。
そして、堺見学を楽しんで、京都に帰ろうとした天正10年(1582)6月2日、本能寺の変が起こります。

京都と堺は、当時の道路事情でも1日で移動できる距離。本能寺で信長が討たれたらしいという情報もすぐに家康のもとに届きました。

本多忠勝の後押しで脱出を決意

窮地に頼れる男 本多忠勝

窮地に頼れる男 本多忠勝

良玄寺蔵
このときの情勢を整理すると、京都は光秀軍に占拠、織田家最大勢力の秀吉軍は毛利攻め、筆頭家老の柴田勝家は越前にいました。上方にいたのは四国攻めの準備をしていた丹羽長秀の軍勢のみ。対する明智軍は、毛利攻めに行くための主力の大部隊でした。

宴会に呼ばれて行って同盟国内を見学という遠足気分だった家康は、まさか同盟国内で襲われるとは想像もしておらず、ほぼ丸腰状態…。

家康は「丹羽長秀と協力して明智と戦うか」と家臣たちに提案します。もちろん家康だって自分たちがたった30数人で、なんの助力にもならないことはわかっています。同盟関係にある信長が討たれたとあれば、たとえ丸腰であったとしても同盟国として黙って逃げるわけにはいかないのです。

そこで間髪入れず忠勝が答えます。
「この軍勢では相手にならない。国に戻り、弔い合戦の兵をあげましょう」
 
こういうときの主従の息の合ったやりとりが、徳川家のかっこいいところ!
そうして、決死の大脱出がはじまります。

ミッション:紀伊半島を脱出せよ!

家康の「伊賀越え」がどう辿ったか、はっきりとした道筋はわかっていませんが、彼らやその子孫によって多くの文書が残されています。それだけ衝撃的な事件だったといえるでしょう。

本能寺の変の第一報を持ってきたのは、京都の商人、茶屋四郎次郎。徳川家と付き合いのある商人で、後に大商人へと成長していきます。
京都に向かっていた家康一行と、本能寺での戦闘を見て慌てて堺に向かった茶屋四郎次郎は、現在の大阪府四條畷の飯盛山付近で出くわしたとされます。詳しい場所は不明ですが、もう少し北側の枚方付近だったとする説もあります。

京都と四條畷は直線距離にして約30㎞。京都を占拠した光秀軍が、摂津の長秀軍、または、家康を討つということになれば、1日もかからずやってきてしまうため、家康たちは一刻も早く上方を脱出しなくてはなりませんでした。

上方から岡崎へ行くルートは、

1:大阪-京都-近江-美濃-尾張ルート
2:大阪-甲賀-伊賀-伊勢、そこから海を渡って三河ルート

の2通りが考えられます。
1のルート(北方面)は、明智軍が占拠している京都、光秀の本城坂本、これから光秀が向かうだろう安土城がある近江を通ることから、脱出ルートとしてはありえない。

そのため、2のルート(南方面)を通ることになります。

2のルートを取る利点はもう一つあります。
徳川家と伊賀忍者たちは古くから付き合いがあり、助けてくれる可能性が高い。伊賀にさえ入れれば、安全圏に入れるというわけなのです。

だがしかし、1のルートよりも安全とはいえ、こちらも難関が待っていました。

生死を分けた金の力

家康の伊賀越えの日程のうち、もっとも危険だったのが初日です。
光秀軍の南下も心配ですが、それよりも心配なのが道中の地侍や農民たち。
戦国乱世の世の中なので、敵の武将の首は臨時収入のようなもの。情勢が定まらない中では、逃げる(負けている)高貴な身分の人をとりあえず捕まえるor首を取るというのは、とても当たり前の思考でした。

そこで家康一行が取った行動は「金に物を言わせる」こと。

上方を脱出する際、家康は茶屋四郎次郎から軍資金を得ていました。そして、これを道中の村々にたんまり謝礼金を配って安全を確保することに使っています。金の力は偉大です。
この金の力が行き届くまでしばらく時間がかかり、アナ雪こと穴山梅雪は、家康と別れた木津川付近で落ち武者狩りに遭って横死してしまいました…。
この地で命を落としたとされる穴山梅雪

この地で命を落としたとされる穴山梅雪

霊泉寺蔵
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高桐みつちよ

高桐みつちよ

「歴史をポップに楽しみたい!」オタクカルチャーを交えて歴史コンテンツを発信する歴女ユニット「武蔵守歴女会LLP」所属。肥後細川家と石田三成をこよなく愛する歴史ライター時々マイ甲冑武者。関ケ原町を拠点とする甲冑武者団体「関ケ原組」での活動を経て、現在は甲冑劇の脚本演出を行っている。関ケ原合戦祭り『関ケ原合戦絵巻』(2014~)、関ケ原七武将物語(2015~)脚本演出。『真田幸村の系譜(河出書房新書)』執筆協力。 公式

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