リングインする龍馬に、消えた龍馬…。日本縦断リョーマ探し!「ニッポン銅像探訪記 第3回:坂本龍馬・全国編」
2017年2月23日 更新

リングインする龍馬に、消えた龍馬…。日本縦断リョーマ探し!「ニッポン銅像探訪記 第3回:坂本龍馬・全国編」

坂本龍馬の銅像を追いかけて早くも3回目。さすがにしつこいという声が聞こえてきそうなので、今回で龍馬巡りは一区切り。1回目の土佐編、2回目の京都編に続き、第3回は北は北海道から南は鹿児島まで、全国に点在する龍馬像を紹介します。

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

日本全国にはまだまだ、多くの龍馬像が出番を待ち続けています。著者も常日頃お世話になっている日本唯一の銅像ポータルサイト「日本の銅像探偵団」によると、坂本龍馬の銅像数は(殿堂入りの二宮金次郎像は別格として)、堂々の第1位。織田信長や日本武尊、松尾芭蕉ら並みいる有名人を抑えてのトップということで、世代を超えた龍馬人気の高さがうかがえます。
日本の銅像探偵団〜銅像数ランキング
http://www.geocities.jp/douzouz/ranking0.htm
それでは、日本縦断龍馬像巡りに出発しましょう。

青コーナーより、リョーマ選手の入場ですッ! ウィィィーー!!!

銅像制作は彫刻家の山崎和國氏。下で紹介している赤坂の勝...

銅像制作は彫刻家の山崎和國氏。下で紹介している赤坂の勝海舟との師弟像も氏の作品で、ほかにも特徴的なポージングの龍馬像を多く手がけている。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
まず、北海道函館市の北海道坂本龍馬記念館に立つのは、右手の人差し指を高々と掲げたこの銅像。まるでリングインしたプロレスラーのよう。近寄ってよく見てみると、手が異常にゴツくてデカいのがわかります(人差し指の太さが脇差しとかわらない!)。
「アイ・アム・ナンバーワン!!!」というかけ声が聞こえ...

「アイ・アム・ナンバーワン!!!」というかけ声が聞こえてきそう。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
なぜ北海道の大地に龍馬像がリングイン、もとい、建立されたかというと、幕末に龍馬が密かに函館を訪れていたから、ではなく、生前に北海道開拓の志を持っていたことによります。実際に北海道渡航を何度か計画した龍馬ですが、その都度、暴風雨や資金難で挫折し、あえない最期を迎えてしまいました。その死から140年後、龍馬は銅像となって北海道に立つ夢を成し遂げたわけです。

敬愛する師匠と念願のツーショット

続いて、東京は港区赤坂に立つのが、師匠である勝海舟とのツーショット像です。
筋骨隆々の龍馬の腕にも注目。

筋骨隆々の龍馬の腕にも注目。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
じつはこの銅像、2016年9月にお披露目されたばかりの、できたてホヤホヤ。銅像が立つ養護老人ホーム「サンサン赤坂」の敷地は勝海舟の住居跡であり、「勝安房邸跡(安房は勝の官位名)」の碑も建立されています。龍馬は攘夷思想に染まっていた若かりし頃、開国派だった勝を暗殺しようと家に乗り込み、逆に世界情勢や海軍の必要性を諭されたというエピソードが残ります。その後、龍馬は勝を師と仰ぎ、勝も龍馬を大きく買っていました。
銅像のすぐ背後に立つ「勝安房邸跡」の碑。維新以降、この...

銅像のすぐ背後に立つ「勝安房邸跡」の碑。維新以降、この場所を終の棲家とした。

via 撮影:滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)
師弟のツーショット像は本邦初のこと(下で紹介する熊本の「維新群像」で、メンバーの一員としては登場していますが)。2人とも凛々しく、どこか誇らしげなのが印象的です。

そんな貴重なツーショット像ですが、残念なのは前面をガラスケースに覆われてしまっていること。うーん、これでは撮影する角度が限られてしまう……。いたずらに遭うのを防ぐためで、立地的に高い台座を設置するわけにはいかなかったのでしょうが、“撮り像”派としてはなんとももどかしい。読者のみなさん、銅像は大切に、マナーを守って接しましょうね。
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滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

かみゆ歴史編集部は「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。最近の編集制作物に『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『歴史REAL 山城を歩く』(洋泉社)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』(学研プラス)、『廃城をゆく5〜戦国の城を極める!』など。代表の滝沢弘康は講演や講座、メディア出演も行う。 公式

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