刀のせいで眼病に?丹羽長秀と妖刀「あざ丸」
2018年4月16日 更新

刀のせいで眼病に?丹羽長秀と妖刀「あざ丸」

織田信長からも「ズッ友」認定された、地味ながらも織田陣営で確固たる存在感を発揮した武将・丹羽長秀。しかし妖刀「あざ丸」を所有したことによりあることに悩まされたとか・・・のちに熱田神宮に奉納された「あざ丸」とは、どんな刀だったのか?その由来とともにご紹介します。

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お米のように欠かせない武将・丹羽長秀

丹羽長秀

丹羽長秀

あの信長に「長秀は友であり兄弟」とまでいわせた長秀。
丹羽長秀は織田信長の家臣で、柴田勝家に次ぐ二番家老でした。
武勇だけでなく政治面にも優れた才能があり、安土城普請では総奉行に任命され、役目を果たしました。天正元年(1573)には若狭一国を与えられ、信長家臣の中で初の国持ち大名となっています。

長秀は信長の養女を妻に迎えていました。息子の長重も信長の娘を娶っており、いかに信長に信頼されていたかがわかります。
また、「米五郎左」というあだ名もあり、何でもそつなくこなす彼は、毎日の生活に欠かせない米のような存在として、信長陣営に必要不可欠だったのです。

本能寺の変の後は豊臣秀吉に与します。賤ヶ岳の戦いの後、若狭のほかに越前と加賀二郡を与えられ、123万石にまで領地を拡大しました。

しかし天正13年(1585)、寄生虫が原因とみられる病で亡くなります。苦痛に耐えきれず、割腹したとも伝えられています。

眼病に悩まされた?「あざ丸」とは

平(藤原)景清

平(藤原)景清

藤原秀郷の子孫である藤原景清。平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため平景清とも呼ばれています。
平安末期、武勇を誇った平景清が持っていたという妖刀「あざ丸」は、景清の顔のあざが刀身に映ったことがその名の由来ともいわれています。

戦国時代には所有者が討死したり、両目に矢が刺さって失明したりするなど、続けざまに持ち主を不幸に陥れました。

「あざ丸」を所有する熱田神宮(愛知県名古屋市)

熱田神宮宝物館

熱田神宮宝物館

「あざ丸」のほかにも多くの刀剣を所有する宝物館。
その後、長秀が「あざ丸」を手に入れますが、彼もまた眼病に悩まされることとなり、熱田神宮へと奉納しました。すると、眼病も嘘のように治ったということです。

熱田神宮宝物館には「あざ丸」が大切に保管されています。過去には展示されたこともあるので、次回は見逃さないようにしたいですね。

「にっかり青江」も持っていた?

丹羽長重

丹羽長重

長秀が所有していたとも、息子の長重の所有だったともいわれています。
とある侍が、子供を抱いてくれとせがみ「にっかり」と笑う女の幽霊を切り捨てると、翌日その場所にある石灯籠が真っ二つになっていたという伝説。
その時の刀が「にっかり青江」といわれています。

丹羽家以前は柴田家にありましたが、丹羽家から豊臣家に献上され、後に京極忠高に与えられ、丸亀藩京極家が代々所有することとなりました。

「にっかり青江」を所有する丸亀市資料館(香川県丸亀市)

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