江藤新平の墓参りをすると百災去る?郷土の英雄が眠る佐賀・本行寺
2018年4月13日 更新

江藤新平の墓参りをすると百災去る?郷土の英雄が眠る佐賀・本行寺

「維新十傑」や「佐賀の七賢人」に名を連ね、明治維新において大きな存在感を発揮した江藤新平。しかし佐賀の乱で敗れ、首をさらされるなど、その末路は維新の功労者とは思えないほど悲惨なものでした。そんな彼の功績と、彼が現在眠っているゆかりの地についてご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

江藤新平の功績

江藤新平

江藤新平

若い頃、生活が苦しかったことから「人智は空腹より出ずる」という名言をのこしたとか・・・。
佐賀藩士の家に生まれた江藤新平は、貧しいながらも優秀な人物でした。
脱藩後は京都で維新志士に接触し、パイプを築いていきます。藩からは蟄居処分を受けていましたが、藩主・鍋島直正に献言するなど、才覚を買われていました。

新政府では民政や財政全般を担当しますが、司法卿に就任してからは司法制度の整備に尽力しました。
裁判所の建設や司法職務の制定、民法の編纂などは彼が中心となって進められ、「四民平等」を浸透させるべく奔走したのです。

参加するつもりはなかった?佐賀の乱

大久保利通

大久保利通

大久保利通にしてやられた感のある佐賀の乱。
征韓論を巡り政府内で対立が起きると、江藤は下野を決め、周囲の制止を押し切って佐賀に戻ってしまいます。不平士族をなだめる目的だったようですが、対立する大久保利通などに排除の口実を与えてしまいました。

佐賀で征韓党の首領となった江藤は、ここで、不平士族のよりどころという点のみで一致した旧体制主義の憂国党と合流してしまいます。
そして、憂国党が起こしたトラブルによって佐賀の乱が起き、これに巻き込まれてしまったのでした。

自分で自分の首を締めた!?悲惨な最期

西郷隆盛

西郷隆盛

江藤の死後、同様に不平士族の反乱に担がれ西南戦争に突入した西郷隆盛。
via 写真提供:鹿児島市
当初は健闘した反乱軍ですが、江藤は戦況が不利になってくると薩摩に逃亡してしまいました。そこで西郷隆盛に挙兵を求めますが、断られてしまいます。
そのため、上京して岩倉具視に直談判しようと考えますが、思いもむなしく高知で捕らわれてしまいます。江藤自身が司法卿時代に定めた写真手配制度が機能したためという、皮肉な顛末でした。

そして佐賀に送られると、わずか2日の審議で梟首に処せられたのです。ハナから死刑が既定路線だったかのような沙汰に、「刑が重すぎる」という声も上がりましたが、それも届くことはありませんでした。

「墓参りをすると百災去る」とは?

現在、江藤の墓がある本行寺(佐賀県佐賀市)

現在、江藤の墓がある本行寺(佐賀県佐賀市)

via 写真提供:佐賀市
最初、江藤の遺体は蓮成寺に葬られました。すると、「江藤の墓参りをするとあらゆる病が治る」と噂が立ち、参拝客が押し寄せたとか・・・これが「百災去る」の由来のようです。

郷土の英雄でもあった江藤を慕う人々は多く、閉口した県は柵を設置して参拝を禁止しましたが、夜になるとやって来る人もいたそうです。
本行寺にある江藤新平の墓

本行寺にある江藤新平の墓

墓碑銘は「佐賀の七賢人」のひとり、副島種臣によるものです。
via 写真提供:佐賀市
後に本行寺に改葬され、現在、江藤はそこで眠っています。
本行寺は龍造寺胤家によって建てられた寺で、ここには龍造寺隆信や、鍋島直茂に仕え治水事業に功績を挙げた成富茂安も葬られています。

故郷では抜群の人気を誇る江藤新平。その人気は今も健在で、大隈重信をしのぐほどだそうです。
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