信長の采配に武田軍大敗!多くの名将も散った長篠の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ:第2回】
2018年6月29日 更新

信長の采配に武田軍大敗!多くの名将も散った長篠の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ:第2回】

歴史ナビゲーターの長谷川ヨシテルさんが古戦場をレポートする連載。第2回は「長篠の戦い」です。1575年6月29日(天正3年5月21日)、織田信長・徳川家康の連合軍と、武田勝頼の軍勢が現在の愛知県新城市近辺で激突。織田軍による鉄砲隊の活躍により、当時最強といわれた武田騎馬隊は大敗。武田軍の名将たち最期の場所など、合戦ゆかりの地をご紹介します。

長谷川ヨシテル/れきしクン長谷川ヨシテル/れきしクン

読者の皆さん、こんにちは!歴史ナビゲーターの長谷川ヨシテルでございます。
「古戦場巡り」をテーマにした拙コラムの第2回は、今から443年前の1575年6月29日(旧暦だと
天正3年5月21日)に起きた『長篠の戦い』をお送りしたいと思います。

織田・徳川軍vs.武田軍の決戦の場「長篠・設楽原古戦場」(愛知県新城市)

織田・徳川軍と武田軍の決戦の場となった「設楽原の決戦場...

織田・徳川軍と武田軍の決戦の場となった「設楽原の決戦場」(愛知県新城市)

via 撮影:長谷川ヨシテル
長谷川(以下、長谷)「ということで、長篠の戦いの古戦場に来たのですが、今回も史跡巡りを
ガイドしてくれるゲストにお越しいただきました。織田家の足軽だったという『雅楽之介』さん
(架空)です」

雅楽之介(以下、うた)「はーい、此度もよろしくな〜」

長谷「前回の『桶狭間の戦い』(永禄3年:1560年)でもお世話になりましたが、『長篠の戦い
』にも従軍していたんですね?」

うた「そうそう。桶狭間の時が20歳だったから、長篠は35歳の時だな」

長谷「雅楽之介さんは信長さんの7歳年下(の設定)でしたもんね。それでは今日もよろしくお
願いします!」

長篠の戦いのきっかけとなった「長篠城」(愛知県新城市)

長篠城址(愛知県新城市)

長篠城址(愛知県新城市)

via 撮影:長谷川ヨシテル
長谷「さて、まずは“日本100名城”の1つの『長篠城』にやってまいりました!建物は残ってないんですが、堀や土塁が残っていますし、豊川と宇連川に挟まれた断崖絶壁の要害ぶりは実に見事です!」
牛渕橋から見た長篠城(左が豊川、右が宇連川)

牛渕橋から見た長篠城(左が豊川、右が宇連川)

via 撮影:長谷川ヨシテル
うた「お〜、初めて来たわ〜」

長谷「あ、初めてなんですか?」

うた「うん、だって戦場はもっと西だし、城自体も織田家のものじゃなくて、徳川家の支城の1つだったからね」

長谷「あ、そうですね。その時の城主は徳川家の配下だった『奥平貞昌』(戦後に信長の「信」の字をもらって「信昌」に改名)でしたよね」

うた「そうそう。国衆(地方の領主)だった奥平家は、大名の今川家や武田家や徳川家に囲まれて、生き残るのに大変だったみたいだな」

長谷「真田家とかと同じように、その時の情勢を見て、家を滅亡させないように主君にする大名を変えていたようですね」

うた「それな。当時、奥平家は武田家から徳川家に鞍替えしたから、武田勝頼の怒りを買って、この長篠城を攻められることになったんだ」

長谷「その援軍として駆け付けたのが徳川家康さんと、その同盟相手の織田信長さんの軍勢だったというわけですね」

うた「そうだ。そして、織田・徳川軍と武田軍が衝突して起きたのが、いわゆる『長篠の戦い』というわけだ」

長谷「そういえば、雅楽之介さんは『“長篠”の戦い』って呼ぶのに違和感があるって言ってましたね」

うた「ああ。おれらが戦ったのは長篠城あたりじゃなくて、これよりも西にある設楽原(したらがはら)だからな。だから『設楽原の戦い』の方がしっくりくるな」

長谷「なるほど!」

うた「ところで、城跡に寝かせられているこの巨大な梯子は何だ?」
城跡を通る「JR飯田線」(最寄り駅は「長篠城駅」)

城跡を通る「JR飯田線」(最寄り駅は「長篠城駅」)

via 撮影:長谷川ヨシテル
長谷「あー、これは線路です」

うた「せ、ん、ろ?」

長谷「現代の修羅(しゅら:巨石を運搬するための木ぞり)みたいなもんです」

うた「ほ〜〜〜」

長谷「では、次の史跡に行きましょう!」

鳥居強右衛門最期の地

鳥居強右衛門磔死之趾(愛知県新城市)

鳥居強右衛門磔死之趾(愛知県新城市)

via 撮影:長谷川ヨシテル
うた「お、これは強右衛門(すねえもん)さんにまつわる石碑か?」

長谷「そうです、そうです。強右衛門さんと言えば、長篠城を脱出した伝令ですよね」

うた「そうだ。城を取り囲む武田の大軍をかいくぐって、岡崎城にいる徳川家康を訪ねて援軍を求めたんだ。しかし、長篠城に戻る際に武田軍に捕縛されて『援軍は来ないことを城に伝えろ』と脅しをかけらてしまうんだ」

長谷「磔にされたんですよね」

うた「ああ。だが、強右衛門さんは城兵に向かって『援軍は来る!』と叫んだんだ。当然、武田軍は怒り、強右衛門さんは槍で刺し殺されてしまったんだ」

長谷「まさに忠臣ですよね」

うた「そうだ。あれほど立派な武士は、古今でもそうはいない」

長谷「実際は、どんな方だったんですか?」

うた「知らない。会ったことない」

長谷「・・・。あ、ここから近くの『新昌寺』に強右衛門さんのお墓がありますね」
鳥居強右衛門の墓(愛知県新城市、新昌寺)

鳥居強右衛門の墓(愛知県新城市、新昌寺)

via 撮影:長谷川ヨシテル
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長谷川ヨシテル/れきしクン

長谷川ヨシテル/れきしクン

歴史ナビゲーター、歴史作家。ニックネームは「れきしクン」。 漫才師としてデビュー、「芸人○○王(戦国時代編)」(MBS、2012年放送)で優勝するなどの活動を経て、歴史ナビゲーターとして、日本全国でイベントや講演会などに出演、芸人として培った経験を生かした、明るくわかりやすいトークで歴史の魅力を伝えている。 テレビ・ラジオなどの出演のみならず、歴史に関する番組・演劇の構成作家や、歴史ゲームのリサーチャーも務めるほか、講談社の「決戦!小説大賞」の第1回と第2回で小説家として入選するなど、幅広く活動している。 著書に『あの方を斬ったの…それがしです 日本史の実行犯』(KKベストセラーズ)、『ポンコツ武将列伝』(柏書房)、『マンガで攻略! はじめての織田信長』(白泉社・原作・重野なおき、金谷俊一郎と共著)がある。 公式

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