“大一大万大吉”の謎に迫る!関ヶ原にひるがえる石田三成の家紋【家紋のルーツ:第5回】
2018年9月14日 更新

“大一大万大吉”の謎に迫る!関ヶ原にひるがえる石田三成の家紋【家紋のルーツ:第5回】

家紋がいつ、どのように生まれ、なぜ使われるようになったのか?そんな家紋のルーツを日本家紋研究会会長の髙澤等さんがゆかりの地とともに紹介する連載。今回は石田三成の家紋です。三成の家紋といえば「大一大万大吉」が有名ですが、実は不確かな部分が多いのです。さらに「大一大万大吉」だけでも4種類あり…気になるその謎を紐解いてみましょう。

髙澤等髙澤等

石田三成の家紋

戦国好きにとって、秋9月は関ヶ原の戦いが起こった季節であると誰もが知っているでしょう。
関ヶ原の戦いは西暦で云うと1600年ですので、いま何年経っているのかを知るのは非常に分かりやすいですね。
その関ヶ原の戦いで主導的な役割を担い、西軍の大将に毛利輝元を据えて戦ったのが石田三成でした。
佐和山城の背後にある龍譚寺の三成象 (滋賀県彦根市古沢町)

佐和山城の背後にある龍譚寺の三成象 (滋賀県彦根市古沢町)

via 撮影:髙澤等
若き三成が仕えた秀吉の長浜城 (滋賀県長浜市公園町)

若き三成が仕えた秀吉の長浜城 (滋賀県長浜市公園町)

via 撮影:髙澤等
豊臣秀吉に仕えた石田三成は、戦場働きよりも吏才によって頭角を現し出世した人物でした。
戦場に臨んでの活躍としては、小田原北条氏を攻めた天正18年(1590)に武蔵国忍城攻めで水攻めを行ったことが知られています。

史料上では天正11年頃からその名が見え始め、三成が発給した自筆文書としては「石田佐吉三也」と署名しています。最初は三成ではなく三也だったようです。
忍城攻めで石田三成が本陣を置いた丸墓山古墳を石田堤から...

忍城攻めで石田三成が本陣を置いた丸墓山古墳を石田堤から見る (埼玉県行田市埼玉のさきたま古墳群)

via 撮影:髙澤等
さて、そんな石田三成の「大一大万大吉」という家紋の話しです。
実は三成が生きていたリアルタイムでの家紋史料はありません。
三成の「大一大万大吉」を確認できるのは、複数の『関ヶ原合戦図屏風』、石田家が城に備えていたという足軽胴、そして極楽寺系図には「家紋 大一大吉大万 九曜」と書かれています。
また石田三成の墓所(非公開)である京都大徳寺三玄院の墓前にある灯籠にも、「大一大万大吉」と「九曜」の紋が確認できます。
関ヶ原古戦場にひるがえる「大一大万大吉」 (岐阜県不破...

関ヶ原古戦場にひるがえる「大一大万大吉」 (岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原)

via 撮影:髙澤等
戦国期以前の家紋は、旗紋、幕紋などその役割を分けて使われていることも多かったのですが、石田家の家紋については、どのように使い分けられていたのかは不明です。
おそらく本紋として用いられていたのは「九曜」だったのではないかと思います。

そして今回は、疑義はあるのですが、戦国好きならば誰でも知っている「大一大万大吉」の紋を三成が使っていたという前提で考えて見ましょう。

4つの「大一大万大吉」の謎

石田三成が用いた「大一大万大吉」は、三成が「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下は安泰になる」というような意味で作ったという話があり、三成ファンの間ではよく知られた逸話です。
この逸話は現代になって作られた話ですので、どこまで三成の人となりを表現できているのか分かりません。

三成が用いていたという「大一大万大吉」の紋は、実はその紋形が定かではありません。
文字の史料に「大一大万大吉」と書かれていても、その紋形は明確にできません。
世に知られている紋形としては4種類あるのですが、いま現在、一番目にすることが多いのは、上に「大一」右下に「大吉」、左下に「大万」を並べたものです。
この紋形は岡田准一さん主演の映画『関ヶ原』でも使われていました。
これは彦根城博物館所蔵の関ヶ原合戦図屏風に描かれているものと同じです。
提供:髙澤等 (23736)

近年一番目にする機会が多い「大一大万大吉」の紋形
via 提供:髙澤等
一方で、NHKの大河ドラマ『真田丸』では、山本耕史さん演じる三成が「大一大万大吉」の家紋が描かれた衝立の前で、酒をあおるシーンがありました。しかしこの時に用いられた紋形は、前述のものとは「大吉」と「大万」の位置が逆になっています。
これは岐阜市歴史博物館所蔵の関ヶ原合戦図屏風に描かれているものと同じです。
各所に残されている関ヶ原合戦絵巻でも、この紋形が一番多く描かれているようです。
提供:髙澤等 (23738)

大河ドラマ『真田丸』に登場した「大一大万大吉」の紋形
via 提供:髙澤等
さらには、右上に「大一」、左上に「大万」、そして下に「大吉」を並べたものがあります。
この紋形は前の2つと違い、逆三角形のシルエットで描かれるのが特徴です。
この紋形は石田家足軽胴(朱漆塗桶側二枚胴・個人蔵)に描かれている「大一大万大吉」と同じです。
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髙澤等

髙澤等

埼玉県飯能市生まれ。長年、実父の日本家紋研究会前会長の千鹿野茂とともに全国の家紋蒐集を行う。家紋の使用家や分布などを、統計を用いて研究している。現在、日本家紋研究会会長、家系研究協議会理事、歴史研究家。著書に『苗字から引く家紋の事典』(東京堂出版)、『家紋歳時記』『戦国武将 敗者の子孫たち』(ともに洋泉社)などがある。 公式

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