大坂夏の陣ゆかりの地を巡る歴史ミステリー【大阪城編】
2017年5月8日 更新

大坂夏の陣ゆかりの地を巡る歴史ミステリー【大阪城編】

真田幸村ら豊臣恩顧の武将たちが徳川の大軍に立ち向かった、戦国最後の戦い「大坂夏の陣」。1615(慶長20)年5月8日、豊臣秀頼と淀殿が自刃し終結します。歴史エッセイストの堀江宏樹さんが夏の陣ゆかりの地を巡り、いまだ秘められた謎に迫る本連載。第3弾は「大阪城」編です。

堀江宏樹堀江宏樹

秀頼、淀殿は炎の中で…

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1615(慶長20)年5月7日、天王寺・岡山の戦いで大敗を喫した豊臣方。敗戦が濃厚になるなか、徳川方に内通していた家臣が三の丸の厨房に火を放ち、ついに大坂城が燃え始めました。

これを見た徳川方が各所に火を放ち、残るは本丸のみ。本丸にいた秀頼と淀殿は、天守で自害しようとしますが、速水守久がとどめ、山里曲輪の糒蔵に案内します。糒蔵というのは食料を保存している蔵であり、人が住むようなところではありません。そのようなところに城主が隠れなければいけないほど、追い詰められていたのです。

戦場から帰還していた大野治長は、秀頼の正室であり秀忠の娘である千姫を城外に脱出させ、徳川方に助命嘆願を試みます。しかしそれは受け入られず、秀頼は毛利勝永の介錯で自害。淀殿のほか、真田幸村の息子・大助も彼らに殉じたといわれています。

いざ、大阪城へ

大坂城=豊臣の連想をストップさせたかった徳川家

現在の大阪城

現在の大阪城

仰ぎ見る角度によって刻々と姿を変えていきます。外見的には豊臣時代と徳川時代の天守の特徴をそれぞれ折衷したようなものに近い様子。
現在も国内外から多くのお客様が訪れる、名所「大阪城」。いうまでもなく大阪を代表する観光スポットです。

ご存知の方も多いと思いますが、現在の大阪城のベースは豊臣時代の城ではなく、徳川時代の城です。

豊臣時代の大坂城跡地に、場所によっては1メートル以上もの高さに盛り土がなされ、江戸時代初期に立て直されたのが德川時代の大坂城。これが太平洋戦争の空襲で燃え落ちるという憂き目にあったため、戦後に「再建」された鉄筋コンクリート建築が現在の天守閣なのでした。

興味深いのは、江戸初期の徳川家が、豊臣家=大坂城という大阪庶民の連想をとにかくストップさせたかったようで、わざわざ大金を投じて德川版大坂城を築いたというのに、江戸時代も中期になると「あれは豊臣時代以来のお城なのだ」というふうにみんな考えてしまっていたという事実です。

難攻不落だった大坂城を物語る堀と石垣

難攻不落の大坂城を支えた堀と石垣

難攻不落の大坂城を支えた堀と石垣

ここを敵として突破するのは絶対に無理でしょうね…。
via 堀江宏樹
大阪城の印象をひとことでまとめるなら「とにかく広い!」の一言。

東京でいうなら皇居の公園を歩いている印象に近いのですが、大阪城は天守が博物館になっているので、ハシからハシまでの散策が可能なんですね。

城の巨大さ…徳川時代に建物の位置や規模がいくら変更されたとしても、かつての大坂城の持っていた難攻不落の城塞としての実力も感じ取ることが出来たような気がします。

地下鉄・森ノ宮駅から散策をスタートした筆者は、天守まで15分~20分もかかるという道のりをなるべく時短でたどるべく、大阪城公園をつっきって歩き続けました。

たくさんの観光客とすれ違うのですが、ほかの博物館の類がおやすみの月曜日だったこと、また八重桜が満開だったこともあるからか、9割以上が外国からのお客様とおぼしき方々ばかりだったことは驚きでした。東京よりある意味、外国からの観光客が多い印象がある現在の大阪ですが、大阪城が外貨獲得の要になってくれている模様…。

出世と開運が期待できる豊国神社に寄り道

豊国神社

豊国神社

外国人にはあまり認知されていないらしく、大阪城内では珍しいほどひっそりとしたスポットでした。
via 堀江宏樹
とくに大都市で暮らしていると15分以上も歩く機会は少ないかもしれませんが、ゆっくりと大きくなってくる天守の姿が美しく、花木が多く風景も楽しめるため、さほどしんどさはありませんでした。ただし、女性の方はベタ靴もしくはスニーカーなどがオススメです。

途中で、豊国神社も参拝できました。江戸時代には徳川幕府が目を光らせ、徳川家康に先んじて神様になった豊臣秀吉への信仰(神号は豊国大明神)を規制していたようですが、現在は…そして外国からのお客さんには八重桜のほうが興味が高いからか、あまり人影はありませんでした。

豊国神社はあの秀吉こと豊国大明神をお祀りした神社ですから、出世と開運が期待できるようですよ。
豊国神社の社殿

豊国神社の社殿

via 堀江宏樹
太平洋戦争当時、空襲被害を受けたことから、天守とおなじく鉄筋コンクリート製の社殿になってしまっている豊国神社ですが、天守ほどはこまめにリペアされていない模様。

それゆえに再建から最低でも数十年以上の時が経った今、いい具合にコンクリートの風合いは変化しており(風化といったら怒られそうですが)、時の流れを感じさせてくれます。
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堀江宏樹

堀江宏樹

歴史エッセイスト。 2017年の文庫化・新作は 『乙女の美術史 世界編』(角川文庫)7月25日発売 『本当は恐い日本史(仮)』(三笠書房)9月発売予定 『偉人たちのウソ名言(仮)』(PHP)11ー12月発売予定 近著に 『本当は恐い世界史』(三笠書房)、文庫版『乙女の美術史 日本編』(角川書店)、文庫版『愛と夜の日本史スキャンダル』、『三大遊郭』(幻冬舎)、『乙女の真田丸』(主婦と生活社)などがある。 公式

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