100%義経!東山道から始めるゆかりの地探訪
2017年2月10日 更新

100%義経!東山道から始めるゆかりの地探訪

源義経の人生を語るのに欠かせない街道――それが「東山道(とうさんどう)」です。「東山道」は近江(今の滋賀)と陸奥(今の岩手県)を結ぶため古代に設けられた幹線道路。義経は京から平泉へ、また平泉から鎌倉へとこの東山道を行ったと伝わっています。東山道をたよりに義経の足跡をたどる旅をご案内しましょう。

こまきこまき

今回ご紹介する東山道の義経ゆかりの地

・鏡の宿(滋賀県)
〈源義経元服池→鏡神社→烏帽子掛松→元服の盥→白木屋跡〉
・那須町(栃木県)
〈弁慶下駄掛石→幣石神社(おんべし)→蓑沢温泉神社(滝の宮)→沓石→追分明神〉

鏡の宿――義経が義経になった宿場

月岡芳年『芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範』

月岡芳年『芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範』

平治元(1159)年、源氏の棟梁・源義朝の九男として誕生した義経は、平治の乱での父の死により大和へと落ち、そののち京都・鞍馬寺へと預けられて遮那王(しゃなおう)と名乗りました。しかし「父の無念を晴らし、源氏の世を取り戻したい!」という思いがつのり、承安4(1174)年に鞍馬寺を出奔し藤原秀衡を頼ろうと平泉へと向かいます。

遮那王は16歳でした。世は平家の全盛期です。しかしこの頃、奥州藤原氏が治めていた平泉は平安京に次ぐ人口と仏教文化の興隆によって一大都市として栄えていました。

京から東山道を北上する一行が最初に泊まったのが、ここ鏡の宿(かがみのしゅく)でした(『平治物語』)。当地で遮那王は自ら元服し義経の名を名乗ることとなりました。鏡の宿は「義経」誕生の地なのです。
ではさっそく鏡の宿に残る義経の元服にまつわる遺物と伝説を見ていきましょう。

【道の駅竜王かがみの里】

道の駅竜王かがみの里

道の駅竜王かがみの里

滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231-2
定休日 毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌日)
    年末年始の12月30日〜1月2日
鏡の宿を行く拠点として便利なのが「道の駅竜王かがみの里」です。ご案内する義経ゆかりの場所はどこもここから徒歩15分以内。「道の駅竜王かがみの里」は、義経の元服をイメージした烏帽子の形の建物が目印です。名産の近江牛グルメも散策の楽しみにプラスできますね。
マスコットキャラクター「近江うし丸」くん

マスコットキャラクター「近江うし丸」くん

「牛若丸」と特産品である「近江牛」から名付けられました。着物には源氏の家紋「笹竜胆」が付いていますよ。

【源義経元服池】遮那王から義経となる。

源義経元服池

源義経元服池

滋賀県蒲生郡竜王町鏡1231-2。

「鏡の宿につき、夜ふけて後、手ずから鬢(もとどり)取り上げて、懐より烏帽子取り出し、ひたときて、暁打ち出で給えば、陵助(みささぎのすけ)「はや御元服候けるや、御名はいかに」と問い奉れば、「烏帽子親もなければ、手ずから源九郎義経とこそ名乗り侍れ」と答えて……」(『平治物語』)
承安4(1174)年3月3日、鏡の宿に着いた遮那王は稚児姿のままでは鞍馬寺の追っ手に見つかりやすいと考えて元服することを決意します。

当時の元服は今でいうところの成人式。烏帽子を被り一人前の男となる儀式です。この儀式に欠かせないのが「烏帽子親」。格上の年長者がつとめるならいでした。しかし、遮那王一行にいるのは皆格下の子分ばかり。

そこで遮那王は自分一人で元服することにしたのです。この池の水を使って前髪を落とし侍姿を整えたといわれています。そして、ここで「源九郎義経」と名乗ることを宣言したのでした。水面に映った義経の姿は源氏再興への希望に光り輝いていたことでしょう。
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こまき

こまき

歴史ライター。ワイルドサイドを歩くことを信条とする。『時の娘』をはじめとした歴史ミステリーに目がなく、読む→書く→読む→書くの無限ループのうちに日々を過ごす安楽椅子ライター。昼夜を分かたずラジオを流しているラジオ狂でもある。『姓氏家系歴史伝説大事典』『江戸東京魔界紀行』(共に勉誠出版)『社寺縁起伝説辞典』『横溝正史研究』(共に戎光祥出版)等々へ記事執筆多数。

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