仲間といっしょに、はいチーズ。京都を駆け抜けた龍馬の銅像「ニッポン銅像探訪記 第2回:坂本龍馬・京都編」
2017年2月8日 更新

仲間といっしょに、はいチーズ。京都を駆け抜けた龍馬の銅像「ニッポン銅像探訪記 第2回:坂本龍馬・京都編」

全国ウン万人(もいるのか!?)の銅像ファンのみなさま、銅像巡りを楽しんでいますか? あなたの来訪を待ち望む、全国各地の銅像を紹介していくこの連載「ニッポン銅像 探訪記」。第2回も前回に引き続き、幕末の異端児・坂本龍馬を紹介。日本中を東奔西走した龍馬ですが、その生涯でもっとも多く滞在し、数多くの事績と逸話を残した京都にある龍馬像を案内します!

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

中岡慎太郎のグチが聞こえてきそう…

円山公園の龍馬&慎太郎像。龍馬は慎太郎よりも20cmも...

円山公園の龍馬&慎太郎像。龍馬は慎太郎よりも20cmも身長が高かったため、銅像のバランスをとるために慎太郎をかがませた、という説もある。

修学旅行で必ず組み込まれる京都観光のメッカであり、地元では「祇園さん」と親しまれる八坂神社。その裏手にあたる円山公園に立つのが、龍馬と中岡慎太郎の銅像です。2人は京都四条の近江屋でいっしょに暗殺された仲(という言い方もなんですが)であり、その近江屋跡はこの円山公園から徒歩で30分ほどの距離。何者か(犯人はいまだ不明)に襲撃されて龍馬は即死でしたが、中岡慎太郎は瀕死の状態で2日間も生き延びました。

 それにしてもこの銅像、どっしりと構える龍馬の脇で慎太郎はひざまずいており、どう見ても主従の関係に見えます。この銅像を見て、「中岡慎太郎って龍馬の家来だったんだぁ」と勘違いしたまま帰郷する修学旅行生も多いことでしょう。史実は決してそんなことはなく、同じ土佐藩出身ですが、龍馬の海援隊に対して慎太郎は陸援隊を組織し、武力倒幕を目指して活動した人望あつい志士でした。龍馬の功績とされる薩長同盟や大政奉還の進言は、じつは中岡慎太郎が主導したとする歴史家も多くいます。龍馬の家来であるかのような扱いを、諸葉の陰で嘆いているかもしれません。
ちなみに、近江屋で暗殺された2人の墓は、多くの志士が祀られている京都東山の霊山護国神社にありますが、ここにも円山公園の銅像のミニチュア版が置かれており、慎太郎は龍馬の横に控えたまま。中岡慎太郎のモヤモヤは未来永劫続きそうです。
霊山護国神社に立つ銅像。2人の墓前に設置されている。

霊山護国神社に立つ銅像。2人の墓前に設置されている。

龍馬と慎太郎の墓碑。墓碑の高さは同格。

龍馬と慎太郎の墓碑。墓碑の高さは同格。

「土佐四天王」って誰だ!?

こちらをジッと見つめてくる4人。右から中岡慎太郎、坂本...

こちらをジッと見つめてくる4人。右から中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太、吉村寅太郎。

多くの寺社や名所があり、景勝地として知られる嵐山。芭蕉が訪れた落柿舎も残るのどかな集落を歩いていると、突如、もの言いたげな4人の男が現れます。それが「土佐四天王」像。腰に手を当てこちらをジッと見据える龍馬、ここでも龍馬の傍らで立て膝姿の中岡慎太郎、書状を手にとる武市半平太(瑞山)、何か詰問してきそうな吉村寅太郎の4人です。

 武市半平太は土佐勤王党の領主で龍馬らの親分格だった人(NHK大河ドラマ『龍馬伝』では大森南朋が好演)、吉村寅太郎も武市らの一派で、天誅組の変で無謀にも幕府に戦いを挑み、戦死した尊攘志士です(なぜか『龍馬伝』では出演なし!)。

 銅像の傍らの説明板には、この4人を「土佐四天王という」との説明がありますが、「土佐四天王」という括りを著者は寡聞にして知りませんでした。今回改めて調べたのですが、ものの本に「土佐四天王」とは出てこないので、この銅像のために命名された呼び方なのではと推測します。(間違っていたら教えてください!)

 この四天王像は、かつては土佐藩邸があり、志士らがたむろした河原町四条に置かれていたそうで、再開発の際に現在地に移されました。説明板には、龍馬と慎太郎が嵐山の天竜寺にあった長州本陣を訪ねたと、(若干言い訳のような)解説がありますが、何にせよ個性的な銅像が失われなくてよかったヨカッタ。

〝愛の旅路〟に向かうお熱い2人

京都の南に位置する伏見。歴史好きならご存知のとおり、幕末の関ヶ原と呼ばれる鳥羽・伏見の戦いの舞台であり、また龍馬が襲撃されて命からがら逃走した寺田屋事件が起こった場所です。その寺田屋は現在も同地に残っており(建物は明治の再建)、庭に設置された桂浜版龍馬像のミニチュアは記念撮影スポットになっています。
現在の寺田屋。旅館&おみやげ屋となっている。

現在の寺田屋。旅館&おみやげ屋となっている。

寺田屋の庭に立つ龍馬像。顔がふっくらでちょっとメタボ気味。

寺田屋の庭に立つ龍馬像。顔がふっくらでちょっとメタボ気味。

この寺田屋跡から徒歩で10分程度、かつては河川港だった伏見港公園に立つのが「龍馬とお龍 愛の旅路」像。頰を赤らめてしまうようなネーミングですが、お龍さんというと寺田屋事件の際、入浴中に不審者の来訪に気づき、羽織1枚で襲撃を龍馬に知らせたエピソードが知られています。お龍の機転によって命を救われた龍馬は、お龍を生涯の伴侶と定め、その後2人で薩摩を旅行しました。この旅行は〝日本初のハネムーン〟だったと言われています。

 銅像は、伏見港から今まさに新婚旅行に旅立とうとする2人を描いたもの。当時龍馬は32歳でお龍は26歳。銅像はお龍が若干オバサン顔で、龍馬はやや若すぎる気がしなくもないですが、それはつまらないツッコミというもので、2人の幸せを祈ることにしましょう。
宙を見つめる「龍馬とお龍 愛の旅路」像。維新後の新世界...

宙を見つめる「龍馬とお龍 愛の旅路」像。維新後の新世界を想像しているのか、はたまた薩摩で何を食べるか思いを馳せているのか…。

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滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

滝沢弘康(かみゆ歴史編集部)

かみゆ歴史編集部は「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。最近の編集制作物に『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)、『歴史REAL 山城を歩く』(洋泉社)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『鳥瞰イラストでよみがえる歴史の舞台』(学研プラス)、『廃城をゆく5〜戦国の城を極める!』など。代表の滝沢弘康は講演や講座、メディア出演も行う。 公式

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