京の都はここから始まった!「千年の都」の礎を築いた桓武天皇ゆかりの将軍塚に伝わる逸話
2018年2月7日 更新

京の都はここから始まった!「千年の都」の礎を築いた桓武天皇ゆかりの将軍塚に伝わる逸話

京都東山山頂にある将軍塚青龍殿。平成26年10月に建立され、現在大舞台は夜景の名所として人気の観光スポットとなっています。そんな青龍殿には、平安遷都の際に桓武天皇が築かせた将軍塚が現存します。国家の一大事を予兆するといわれる将軍塚の言い伝えをご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

国内最大の観光都市、京都。延暦13(794)年の遷都に伴って平安京が造営され、雅な王朝文化を織り成しつつ明治維新まで天皇のお住まいである御所が置かれたことから「千年の都」とうたわれています。その遷都のきっかけが、実は祟りから逃れるためだった、という話をご存知でしょうか。それを伝えるのが、円山公園のちょうど裏手に当たる東山の一峰、華頂山の頂上部分にある「将軍塚」です。
将軍塚

将軍塚

塚の大きさは直径約20メートル、高さ約2メートルで、東山のふもとにある青蓮院の一部である大日堂の境内にあります。

平安京の遷都は、祟りから逃れるためだった

桓武天皇

桓武天皇

平安京造営を推し進めたのは桓武天皇ですが、その狙いは奈良の平城京で台頭し、朝廷を脅かすまでに成長した仏教勢力から距離を置くためでした。
まずは長岡京(現在の京都府長岡京市)に都を移しましたが、造営工事を担当していた側近の藤原種継を何者かが殺害。黒幕とされたのは皇太弟の早良(さわら)親王でした。
早良親王は無実を訴えましたが、淡路島に配流となり、桓武天皇を恨みながら絶食して亡くなりました。

その後に起こった飢饉や疫病、近親者の死去を早良親王の祟りと恐れた桓武天皇は、再び遷都を決断。臣下の和気清麻呂(わけのきよまろ)の進言に従い、地の利に恵まれた京都盆地に新しい都を建設しました。清麻呂が桓武天皇を東山の山頂に誘い、原野と湿地が広がる京都盆地を見下ろしながら遷都を勧めたといいます。
将軍塚からの眺め

将軍塚からの眺め

平安京造営にあたって、桓武天皇は高さ8尺(約2.5メートル)の武人の像を土で作り、甲冑を着せて鉄製の弓を持たせて東山に埋め、平安京の守り神としました。これが将軍塚の由来です。一説には東山のほか、京都盆地を囲む北と西の山にも同じような塚が築かれましたが、いつの間にかその場所は不明になったとされています。

鳴動は一大事の前兆?将軍塚に伝わる言い伝え

その将軍塚には、国に一大事が起こりそうになると、その前兆として鳴動したという不気味な言い伝えがあります。

有名な話が軍記物「源平盛衰記」に記述されています。
伊豆に流されていた源頼朝が、平家政権打倒のため挙兵する前年の1179(治承3)年7月のことです。晴天だった京都の上空が突如として厚い雲に覆われて、人の顔が見えないほど暗くなり、将軍塚が3度鳴動しました。その音は諸国に鳴り響き、続いて大勢の兵や馬の駆ける音が空から聞こえ、雲間には魑魅魍魎の姿が浮かび上がったといいます。
『源平合戦図屏風』/赤間神宮所蔵

『源平合戦図屏風』/赤間神宮所蔵

翌年1180年から、6年間にわたって大規模な内乱が起こりました。これが治承・寿永の乱です。
このほか1156(保元1)年の保元の乱、南北朝時代末期の1349(貞和5)年から始まった観応の擾乱でも同じように将軍塚は鳴動したとされ、近年では太平洋戦争中に同じ現象が起こったと伝えられています。

将軍塚近く「青龍殿の展望台」は新たな夜景の名所

夜の青龍殿大舞台

夜の青龍殿大舞台

現在の将軍塚周辺には、京都市が整備した展望台があり、地元の人々には夜景の名所として知られています。そして2014年10月には、青蓮院が将軍塚近くに新しい護摩堂「青龍殿」を建設。合わせて青龍殿の北側に京都盆地を一望することができる舞台造りの木造展望台を設けました。
その広さは1046平方メートルで、清水寺の舞台の4.6倍に相当します。
ここに立って眼下に広がる風景と京都盆地を囲む36峰を眺めれば、平安京の建設に情熱を傾け、新時代を切り開いた桓武天皇の思いをしのぶことができるかもしれません。

(黄老師)
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