【7月10日は納豆の日】発祥の地は秋田!?納豆と源義家と後三年の役
2018年7月10日 更新

【7月10日は納豆の日】発祥の地は秋田!?納豆と源義家と後三年の役

納豆と言えば、やはり茨城県水戸市を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし、納豆発祥の地は全国各地にあり、そのうちのひとつ・秋田県横手市には、なんと源義家と関連した納豆伝説があるのです。7月10日の「納豆の日」にちなみ、今回は納豆と源義家の関係を紐解いてみましょう。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

納豆と源義家と後三年の役

『後三年合戦絵詞』に描かれた源義家

『後三年合戦絵詞』に描かれた源義家

平安時代後期、「八幡太郎」こと源義家は白河法皇の護衛をつとめる武士として頭角を現しました。彼こそ、源頼朝や足利尊氏の先祖であり、武士が時代の表舞台に登場する先陣を切った人物です。

その義家が、奥州を支配していた清原氏の内紛に介入して始まったのが「後三年の役」(1083~1087年)。一説には、納豆の発祥はこの後三年の役でのこととされています。そのため、戦場となった秋田県横手市が納豆の発祥地という説があるわけですね。

納豆発祥の地に伝わる誕生秘話

金沢公園内にある『納豆発祥の地』の石碑

金沢公園内にある『納豆発祥の地』の石碑

via 提供:秋田県横手市
秋田県横手市の金沢公園内にある「納豆発祥の地」の石碑には、こう書かれています。

義家は、農民たちに兵糧として煮た大豆を差し出させたが、農民たちはそれを俵に詰めて提供したため、数日経つと香りを放って糸を引くようになったそうです。それを試しに食べてみたところ、意外に美味しかったために食用となり、現地にも伝わったとか。
秋田県横手市の中でも、納豆発祥の地がいくつか存在しています。
横手市大屋地区に伝わる伝説にはこうあります。

沼柵という清原氏の城へ向かう途中、大屋という地名の辺りで、義家率いる兵たちは大雪に見舞われてしまいました。そこで、農民に煮た大豆を供出させ、馬の背に積んでいたところ、馬の体温で温められた大豆が糸を引くようになってしまったのです。しかしそれを食べてみると美味しかったため、兵たちの飢えを満たしたのだとか。

また、沼柵に着いた義家が清原氏を攻めるも苦戦し、その時に馬に積んでいた豆が雪の水分と馬の体温で腐り、糸を引くようになってしまったのですが、それを試しに食べたら「なかなかいけるぞ!」ということで士気があがったという説もあります。結局、沼柵の戦いで義家は敗北し退却しているんですけれどね・・・(その次の戦いで勝ちました)。

沼館八幡神社

沼館八幡神社

沼館八幡神社

via 提供:秋田県横手市
「八幡太郎」義家にちなんだ名を持つこの神社は、義家と納豆ゆかりの地として有名です。
毎年9月の第2土・日曜日に例祭が行われるのですが、その時の宵祭りで「八幡納豆」を販売しています。人気があってすぐ売り切れてしまうそうですよ。
納豆発祥の地は、他に京都にもあります。関西なのに?と思われるかもしれませんが、南北朝時代に政争に敗れ出家した光厳法皇が煮豆を少しずつ食べていたらだんだん糸を引くようになり、それが納豆になったということです。全国のご当地納豆、食べてみたくなりますね。

(xiao)
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