交友関係に恵まれた愛されキャラ?初代内閣総理大臣・伊藤博文【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第24回】
2019年2月13日 更新

交友関係に恵まれた愛されキャラ?初代内閣総理大臣・伊藤博文【小栗さくらがゆく!幕末維新のみち:第24回】

歴史タレント・小栗さくらが、幕末維新ゆかりの場所を旅する連載。第24回は、初代内閣総理大臣にして、4回も総理大臣を務めた伊藤博文です。長州藩の農民から日本のトップまで上り詰めますが、最後は暗殺されてしまうという劇的な人生を送った博文。運を味方に、師や先輩たちに可愛がられた彼が出会った人々や、その評価について紹介します。

小栗さくら小栗さくら

松陰は安政の大獄で命を落としますが、その後もう一人の師である来原良蔵も文久2(1862)年に亡くなってしまいます。それも自刃という死に方です。理由は諸説ありますが、藩の方針の転換によるものともいわれています。その年の終わりに、博文は国学者を斬殺したり、英国大使館の焼き討ちに参加するなど大きな出来事に関わっています。その行動には、良蔵の死も影響したのでしょうか。
現在の権現山公園あたりにあったといわれている英国公使館跡

現在の権現山公園あたりにあったといわれている英国公使館跡

via 撮影:小栗さくら
博文は松陰よりも良蔵を評価していた形跡があります。良蔵がもし生きていたなら「真に国家の重任を負うべき政治家」だったろうと語り、また、処世術以外は木戸の遥か上だったとも評しています。それに対し松陰のことは「過激だった。政府を苦しめている。」とし、松陰が上の考えることを理解せずに行動していたこと等を指摘しています。
後年の言葉とはいえ、盲目にならず師を冷静に評価できるところも政治家に向いていたように思います。

長州ファイブ、イギリスへ

盟友・井上馨の誘い

井上馨

井上馨

via 国立国会図書館デジタルコレクション
博文が木戸のもとで修行していた時、長い付き合いとなる人物と出会いました。それが6歳上の盟友・井上馨です。
文久3(1863)年、長州藩は幕府に無断でイギリスに留学生を派遣します。その時、井上は博文にも強く留学を勧めたといいます。博文自身かねてから海外渡航を考えていたため、仲間の反対がありながらも渡英を決心しました。
こうして博文は「長州ファイブ」の一員となったのです。
長州ファイブ

長州ファイブ

のちに伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのも、井上馨が「これからの総理は外国電報が読めなくてはいけない」と発言したことが影響したと言われます。
まさに博文のキーパーソン。
via 萩博物館所蔵
長州ファイブが密航した横浜の錦絵(鳥瞰図)

長州ファイブが密航した横浜の錦絵(鳥瞰図)

via 萩博物館蔵
ところが博文と井上は、わずか半年ほどで帰国せざるを得なくなります。
それは長州藩の攘夷行為に対し、イギリスを含めた連合国が報復行動をするかもしれないという情報を得たためでした。2人は帰国すると、戦争回避のために奔走しますが、結局下関砲撃を止めることは叶いませんでした。

とはいえ、留学は無駄ではなく、砲撃後の交渉事では博文が通訳を務めています。この頃は飛び抜けて英語力があったわけではないようですが、博文のコミュニケーション能力は外国人にも通用していたようです。
アーネスト・サトウ

アーネスト・サトウ

博文は、イギリス側のアーネスト・サトウと共に交渉がまとまるよう尽力しました。

井上との友情

長州藩内が「正義派」「俗論派」に揺れていた頃、井上は夜襲をかけられて瀕死の重傷を負ってしまいます。それを聞きつけた博文が慌てて井上のいる山口へ行くと、息も絶え絶えな井上が「お前だけは生き延びろ。山口は危険だ。少しもいてはならん。早く馬関に行け!」と忠告したそうです。

幸い井上は回復しましたが、それから40年以上後の明治41(1908)年、博文は再び井上が床についた姿を見ることになります。心配した博文は、静岡の井上のもとに駆けつけ、多忙ななか10日以上も看病しました。この時の井上の病状はかなり深刻だったそうで、博文は看病しながら泣いていたといいます。

井上はここでも驚きの回復力を見せ、後日快気祝いの園遊会が開かれました。その時博文は祝辞を述べるのですが、「出会ってから50年の間、国政のため火花を散らしたことは数知れず、絶交しようと思ったこともある。けれど、私人としては『無二の親友』である」という旨の話をしました。井上の元気な姿が見られて本当に良かったと話す博文は、最後涙で言葉が止まってしまったほどだといいます。苦楽を共にしたからこそ、色々な思いがこみ上げたのでしょうね。

しかし皮肉なことに、井上より6歳年下の博文は、この園遊会から約半年後に暗殺されてしまうのでした。

剛凌強直の人へ

伊藤公記念公園には、生家(復元)のほか、伊藤の銅像や伊...

伊藤公記念公園には、生家(復元)のほか、伊藤の銅像や伊藤公記念館、伊藤公資料館などがあります。

via 写真提供:一般社団法人山口県観光連盟
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小栗さくら

小栗さくら

中学生時代に司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』を読んで以来、歴史に興味を持つ。 駒澤大学歴史学科卒業と同時に博物館学芸員資格を取得。 現在『歴史タレント』として、TVやCMに出演。また、イベント司会、講演会、コラム執筆と幅広く活躍中。 諏訪市公認キャラクター・諏訪姫の声優も務めている。 タレント活動と並行し「さくらゆき」というアーティスト名で歴史をテーマにした楽曲の発信、ライブ等を行っている『歴史系アーティスト』でもある。 公式

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