津田梅子も最年少6歳で留学!岩倉使節団のメンバーによる帰国後の功績
2018年11月4日 更新

津田梅子も最年少6歳で留学!岩倉使節団のメンバーによる帰国後の功績

明治政府がスタートして間もない明治4(1871)年、岩倉具視を正使とした岩倉使節団が欧米へ派遣されました。その数107名の大所帯、大久保や桂、伊藤といった新政府の首脳までもが含まれていたこの一行は、欧米で多くを見聞きして帰国しました。彼らの目的と日本に与えた影響とは?また、使節団のメンバーが後に成し遂げた功績もご紹介します。

ユカリノ編集部ユカリノ編集部

総勢約100人の豪華メンバー!岩倉使節団の目的とは?

岩倉使節団の主要メンバー(左から木戸孝允、山口尚芳、岩...

岩倉使節団の主要メンバー(左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通)

岩倉具視を正使とし、107名で構成された岩倉使節団。その中には、新政府の首脳である木戸孝允や大久保利通、伊藤博文らも含まれていました。

また、留学生の中には当時最年少だった6歳の津田梅子や、後に大山巌の妻となる山川捨松のほか、通訳として新島襄などもいたのです。他にも「東洋のルソー」と呼ばれ、自由民権運動の中心となった中江兆民も含まれていました。
右端が山川捨松、その隣が津田梅子です。

右端が山川捨松、その隣が津田梅子です。

使節団の目的としては、諸外国と結んだ不平等条約改正のための予備交渉がまず挙げられます。また、欧米の進んだ文明を視察することで、日本の発展に役立てようと考えていました。

帰国後、使節団が日本に与えた影響

2年近くかけて欧米とその植民地を視察し、一行は日本に戻ってきます。
特にプロイセンでビスマルクと対面したことは、後の日本に多大な影響を与えました。帝政であるプロイセンは日本のモデルとなり、大日本帝国憲法の制定や富国強兵政策の指標となったのです。
プロイセン王国の宰相だったオットー・フォン・ビスマルク

プロイセン王国の宰相だったオットー・フォン・ビスマルク

使節団に対し、まずは欧米に比肩する国力をつけよとアドバイスしたビスマルク。
他にも、「世界の工場」と呼ばれたイギリスの工業技術なども伝えられました。
このように、使節団の経験は、日本の政治経済・教育・文化・科学など多岐にわたって影響を及ぼし、文明開化が加速していったのです。

使節団メンバーの功績

帰国した使節団のメンバーの中には、今に残る功績を挙げた人物が数多くいます。
津田梅子や新島襄、山田顕義と金子堅太郎らは、現在誰もが知る有名大学の基礎を築きました。

津田梅子:女子英学塾(後の津田塾大学)

国立国会図書館デジタルコレクション (25596)

11年の留学を経て帰国した津田梅子は、女性の地位向上のためにと教育に身を投じます。そして明治33(1900)年、津田塾大学の前身となる女子英学塾を創設しました。これには大山捨松も支援しています。
via 国立国会図書館デジタルコレクション
津田塾大学

津田塾大学

梅子の墓は津田塾大学の構内にあります。現在も津田塾大学では彼女に関する資料室や記念交流館などが設立され、その精神が受け継がれています。
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