高桐みつちよ

高桐みつちよ 公式

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「歴史をポップに楽しみたい!」オタクカルチャーを交えて歴史コンテンツを発信する歴女ユニット「武蔵守歴女会LLP」所属。肥後細川家と石田三成をこよなく愛する歴史ライター時々マイ甲冑武者。関ケ原町を拠点とする甲冑武者団体「関ケ原組」での活動を経て、現在は甲冑劇の脚本演出を行っている。関ケ原合戦祭り『関ケ原合戦絵巻』(2014~)、関ケ原七武将物語(2015~)脚本演出。『真田幸村の系譜(河出書房新書)』執筆協力。

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【巌流島の戦いは細川家による暗殺計画!?】佐々木小次郎豊前添田出身説を訪ねてきた!

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慶長17年4月13日、門司沖の船島(巌流島)で行われた宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘。時代劇や歌舞伎の題材でおなじみのシーンですが、佐々木小次郎の正体は謎に包まれています。実は巌流島の戦いは藩主細川家による小次郎暗殺計画だったのかも?佐々木小次郎豊前添田出身説を考えてみました。
天下泰平総仕上げ!細川家史料から見る「島原の乱」

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関ヶ原の戦いから37年の時が過ぎた寛永14年(1637)。関ヶ原の戦いを勝ち抜き、藩主となった大名たちも二代目、三代目と代替わりをしていたころ。列島の西の端で一揆が起きた! 戦を知らない子供たち世代は、戦のやり方もおぼつかないまま戦場へと向かいます。この戦いで一番乗りを上げた細川隊の動きから、島原の乱を追いかけてみましょう。
【小倉、中津、熊本へ】西国きっての大国・肥前熊本藩誕生!細川忠興ゆかりの地・後編

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細川忠興の波乱の生涯とゆかりの地をめぐるシリーズ。丹後時代を紹介した前編、細川家怒涛の関ヶ原の戦いをお送りした中編に続き、後編は、小倉、中津、そして西国きっての大国・肥後熊本藩が設立するまでの忠興と、ゆかりの地をご案内します。
【 細川家の関ヶ原の戦い 】実は滅びる寸前だった!細川忠興ゆかりの地・中編

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慶長5年(1600)、会津征伐から始まる関ヶ原の戦いが勃発。丹後田辺、大坂玉造、豊後杵築、江戸、そして、関ヶ原と分断されての戦いを強いられることになった細川家は、国が攻め込まれ滅亡寸前に…!細川忠興の丹後時代を紹介した前編に続き、今回は5カ所に分かれて戦った細川家の関ヶ原合戦を中心に、忠興ゆかりの地をご案内します。
「本能寺の変」勃発で最大の危機!?徳川家康、命がけの「伊賀越え」

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京都・本能寺で起こった、最も有名な下剋上事件「本能寺の変」。このとき堺でわずかな家臣と旅の途中だった徳川家康は浜松へ逃げ帰ることを決断します。これが成功しなかったら日本の歴史が変わっていた!?家康の「伊賀越え」とそのルートをご紹介します。
【 勝竜寺城、宮津城…】家族運に恵まれなかった!?細川忠興ゆかりの地・前編

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1563年(永禄6)11月28日は、天下一気が短い大名として名高い細川忠興の誕生日(新暦)。83歳まで生きた忠興は、山城勝竜寺から始まり、丹後宮津、豊前小倉、肥後八代と、時代の流れとともに居住地を変えていきます。武将としての輝かしい戦歴、外様大名としての政治力を持ちながらも、実はその人生は家族運に恵まれず、一家離散の危機ばかり。今回はその人生の前半戦、山城・丹後時代の縁の地をご紹介します。
ファン大集合!三成好きのためのお祭り「石田三成祭」レポート

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2017年11月5日(日)、石田三成の生誕地、滋賀県長浜市石田町で「石田三成祭」が開催されました。毎年、三成の新暦命日に合わせて行われる「石田三成祭」。同地から発掘された石田一族の供養塔では法要が行われます。また、隣接する広場では特設ステージでイベントが行われ、石田家の屋敷跡に建つ石田会館では講演会も。甲冑武者としてお祭りを盛り上げてきましたよ!
【教養人×天才絵師】永青文庫に「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」を見にいってきた!

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戦国大名でありながら当代きっての教養人だった細川幽斎を祖とする肥後細川家。その文化財展示施設である永青文庫(文京区)で、「重要文化財 長谷川等伯障壁画展 南禅寺天授庵と細川幽斎」が2017年11月26日まで開催されています。襖絵を描いたのは天下人にも認められた絵師・長谷川等伯。教養人と桃山期を代表する絵師の2人にどんなつながりがあったのでしょうか?そんな思いを胸にさっそく展示を見に行ってきました!
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