信長の采配に武田軍大敗!多くの名将も散った長篠の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ:第2回】

信長の采配に武田軍大敗!多くの名将も散った長篠の戦い【足軽さんと巡る!?古戦場レポ:第2回】

歴史ナビゲーターの長谷川ヨシテルさんが古戦場をレポートする連載。第2回は「長篠の戦い」です。1575年6月29日(天正3年5月21日)、織田信長・徳川家康の連合軍と、武田勝頼の軍勢が現在の愛知県新城市近辺で激突。織田軍による鉄砲隊の活躍により、当時最強といわれた武田騎馬隊は大敗。武田軍の名将たち最期の場所など、合戦ゆかりの地をご紹介します。
【武田軍と織田・徳川軍が激突!】革新的な戦術が勝敗を決めた「長篠の戦い」ゆかりの地

【武田軍と織田・徳川軍が激突!】革新的な戦術が勝敗を決めた「長篠の戦い」ゆかりの地

東の武田、西の織田、東西の有力大名が初めて激突した「長篠の戦い」。鉄砲を使った「三段式装填法」や、武田の騎馬軍団に対抗する「馬防柵」など、信長が考案した革新的な戦術が繰り出されたことでも有名です。その戦場となった長篠・設楽原(愛知県新城市)には、その名残が今も数多く残っています。今回は「合戦ナンバーワン」との呼び声も高い「長篠の戦い」ゆかりの地をご紹介します。
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